自分の価値を見失ったら、揚げ物に頼れという話
今日の晩御飯は、鶏ムネ肉の和風唐揚げだ。
世の主婦の皆様からしたら、年末せっかくキレイにしたコンロで新年早々唐揚げなんて考えたくもないと思うが、あたしは平気だ。
だって、唐揚げが食べたい。
あたしは料理好きではない。凝ったものは何一つ作れない。ただ、家庭事情で自炊歴は長く、小4になるころには夕食の支度はあたしの役割だった。ちなみに、つい先日まで同居していた親の手料理を最後に食べた記憶は小5だ。受験前ですら、暗記するべきノートをコンロの上に貼り付けてご飯を作っていた。
生まれ持って母とうまくやれないあたしにとって、料理は人生を生きやすくする術の1つだった。なにぶん、料理が出来ると家族内で必要としてもらえるのである。
この、母子関係に問題を抱える人のど定番の「必要とされないことへの恐怖感」は、時にあたしを必要以上に走らせたり、一方で大きく成長させてくれたりもした。振り回されたりしたけれど、年を重ねたので、今はそこそこ取り扱える。
生後2年で栄養失調で死にかける程度には見向きもされてなかったあたしは、その後穴埋めをするようにキャスティングされていた素晴らしい友人たちや、ちょっとおせっかいな人情味あふれる関西のおばちゃんたち、人として出来た元彼や尊敬できる先生たちのお陰で、今や立派な大人に成長していると自負している。…あくまで自負だ。人には自負の自由がある。
それでも時々、自分に何かが足りていないという感覚に陥ることがある。
いや。足りてなくてもいいんだけど。というか、今さら落ち込むのが恥ずかしいくらい、そもそも出来ないことだらけなんだけど。車乗っているけど駐車できないし、関西ー信州間を運転するスキルがないまま他力で引っ越してきた。どうだすごいだろ。
時々やってくる、自分の価値が分からなくなる時。そんな時は、自分で自分のためにご飯を作る。今日は唐揚げだ。
同じように、自分を愛せない瞬間が訪れた人には、自炊をおススメする。揚げ物は特におススメだ。なぜならたいていのモノは揚げるとうまい。その上ごちそう感が半端ない。キッチンでビールを飲みながら、揚がったそばからむさぼり食べてもいいし、自分のためにわざわざ皿に盛ったっていい。
大丈夫だ。こんなに美味しいものを生み出せるんだもん。大丈夫だ。こんなに美味しいものを食べるに値するんだもん。自分すげぇ。自分最高。キミもすげぇ。キミも最高。
揚げ物は正義である。