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「正解がない人生」 を人と争って生きたくない。
先日、NowDoというソーシャルスクールコミュニティで「本田圭佑とZ世代が未来の日本について考えるハロウィーンの夜!」というイベントが開催されました。
その中で「これからのZ世代(10〜21歳)は何をしていくといいのか」という議論テーマになって、自分が発言するタイミングがありました。
その中でジャスさんは
「日本人は答えがある問いに強い」
「一方で答えがない問いに弱い」
「”正解至上主義”的な側面があると思う」
「故に意見が合わない人を攻撃したりする」
「だから相手の意見を受け止めることが必要」
みたいなことを喋ったんですね。
まぁ正直言ってしまえば、こういう感じの意見って自己啓発書とかビジネス書に書いてあるような内容です。
でもその内容をそのまま言っているのではなく、そこから他の本やサイトの記事、そして自分が生きてきた19年の経験から少しづつその内容が加筆修正されていって「自分なりの意見」になっています。
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(日本の震災対応の速度が凄すぎる)
(でも日本人の多くは”受け身”である)
(SNSでの討論が毎日のように目に入る)
↑こういうのが集まって出来た意見。
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「答えがない問題」に「正解」はない訳で。
だから、自分なりの答えを日々更新していく。
こんな感じでいいんじゃないの?と思ってます。
仮に議論をするにしても、しっかりそれぞれの要点を挙げた上で「この観点についてはAの方が良さそうで、こっちの観点ならBの方がいいよね」みたいな議論をしたいです。
水掛け論が大っ嫌いなので。
なので「人と争う」というよりは、
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「常に自分を最適化していく」イメージ。
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今のネット時代に大切なことじゃないかな?
と、ジャスさんの現段階ではこう考えてます。
「間違い」は振り返りに価値がある。
「人生」とか「国際問題」に絶対的な正解はないんですが、一方で明確な正解がある分野もある。それが「日本における学校の授業全般」です。
例えば「14+9」の計算式。
もちろん解は「23」ですよね。
でも・・・。
その問題を間違えた人がいたとして、その人を非難するだとか冷たい目で見るのではなく、一旦「なぜその答えに至ったのか」の理由を聞いてみたいんです。
「繰り上げの時に4から1を貰うの忘れていたのか?」「繰り上げした10を放置してしまったのか?」とか「なんとなくでそう思ったからなのか」だとか。
という感じに”間違えてしまった思考回路”を聞くだけでも、自分がブラックボックスで適当に処理していたことを言語化して整理することができるし、自分にはない発想を知ることができるから良いこと尽くめじゃん!って僕は思ったりしていて。
これが「すぐ否定せずに一旦受け止めてみる」の大きな利点じゃないですか?
お互いの思考を理解して、お互いに1mmでも歩み寄ることができて、お互いの中に「自分が知らなかった思考」が増えていく。
これが頭を柔らかくし続ける秘訣なのかな?って11月6日現在のジャスさんは考えてます(*'▽'*)💕
ここまで読んでくれてありがとうございます。
以上、雑談師のジャスさんでした!
近々音声メディアも出す予定なのでお楽しみに✨
PS.そういえば中学時代の数学の先生が「ただ計算が出来るようになるんじゃなくて、”なぜその計算式になるかを理解する”ことが大事」って言ってたなぁって思い出した。
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