失敗を避けるか受けるか。 2020/06/12
「失敗」ってあるじゃないですか。
「失敗」って
「失って」「敗れる」と書く。
でも、失敗した人なら分かるはずですが
「失敗」した過去の経験って
次に活きる「ヒント」と化しますよね。
でも、それに気づくためには
「失敗」が必要になってきますよね。
「失敗は経験になる!」
「失敗は成功の元!」と唱えても
失敗を恐れる人には効果が薄い。
今日の思考
【 失敗はなぜ避けられてしまうのか 】
「失敗してはいけない」これって
恐らくですが学校教育で培われると思う。
「答えがある教育」で育つので
必ず正解がある中で模索していきます。
そして、「不正解=悪いこと」と感じていく。
テストの点として可視化されるので
不正解をしてはいけないと感じやすい。
この明治教育が続いた結果として
「挑戦をしようとする人材」が
今の日本教育では育たなくなってる。
ここから「失敗=恥ずかしい」となる。
そして、ここからが大きな問題なんですけど
今の日本にある大きな問題として
「挑戦しようとする人が小馬鹿にされる」
という挑戦がしづらい環境が生まれている。
いわゆる同調圧力やいじめの類。
「あいつこんな事やってんだぜwww」
「この歳になってまだこれで遊ぶとかwww」
この集団の力、群衆の力によって
挑戦しようと思った少ない人たちも
挑戦をしたくなくなってしまうという問題。
日本の挑戦人口はかなり低いから。
「応援される環境」を作らないといけない。
自分も、挑戦する人を全力で応援したいし
自分が挑戦するときは全力で応援されたい。
個人で尖れない。
でも、尖ったヤツでいたい。
自分は変なヤツという自覚はある。
だからたくさん挑戦していきたい訳で。
挑戦ができる環境や
応援してくれる人が多い環境。
こんな場所を探し求めて身を置きたい。
ワクワクドキドキに時間を溶かしていきたい。
そんなことを思った1日。
挑戦する人がいないと革新は始まらない。
だからイノベーターにワクワクするんだ。
「挑戦」を嘲笑うのではなく応援したい。
そんな場所で楽しく生きたい。それじゃ。
Twitter @j_masa516