震災遺構/高田松原津波復興祈念公園

画像1 モニュメント化された一本松が、震災のあの日の出来事を覆い隠している気がしました。
画像2 「三陸漁場船団」と書かれたトラックに導かれ、やってきたのは岩手県陸前高田市です。
画像3 道の駅高田松原に、あの有名なモニュメントがあるのです。
画像4 ところでこの案内標識、青森まで363kmとありますが、300kmを超える距離表示、なかなかありませんよね。確か以前「チコちゃんに叱られる」でこの標識について取り上げた回があり、もっとも長い距離は370km、気仙沼あたりで見つけた、青森までの距離でした。惜しい〜!
画像5 さて、車窓から、あの有名なモニュメントが見えてきました。
画像6 道の駅高田松原です。あまりに巨大すぎて、画面に収まりません・・・
画像7 駐車場は満車でした。みんなのお目当は「奇跡の一本松」に間違いありません。
画像8 一帯は、高田松原津波復興祈念公園となっています。他の震災遺構とは桁違いのスケールですが、ここは国営の追悼施設なのです・・・
画像9 防潮堤に向かって続く道。
画像10 途中、川原川にかかった橋を渡ります。向こうの山の中腹に、高台移転した住宅地が見えます。陸前高田市は、震災による死亡・行方不明者の数が人口の7.78%にも及んだ地域です。指定避難所の多くが天井まで水没し、多くの死者を出してしまいました。
画像11 献花台から見下ろすと、植樹され育てられている松林が見えました。
画像12 もともと、2キロメートルの砂浜に、およそ7万本の松が茂っていて、景勝地として知られていました。津波により、松林も壊滅しました。
画像13 さきほど渡った橋。向こうの芝生の広場では、コンサートが開かれていました。
画像14 巨大な防潮堤に沿って、散策路を水門の方向に歩いていきます。
画像15 ようやく、「奇跡の一本松」にたどり着きました。ご存知のように、津波で松林が壊滅した中、一本だけ奇跡的に残った姿が希望の象徴となりましたが、海水に浸かっていたためまもなく枯死。およそ1億5000万円をかけて樹脂加工を施しモニュメント化されましたが、当初、瓦礫処理の進まない中で、松の木の保存が優先される状況から、賛否両論を集めました。一本松の奥にあるのは震災遺構・陸前高田ユースホステルの建物です。この松が倒れなかったのは、この建物が防波堤の役目を果たしたからだと言われています。
画像16 鎮魂、希望、復興の象徴だそうです。
画像17 津波により全壊した陸前高田ユースホステル。震災前から無期限休館中だったため、人的被害はなかったそうです。
画像18 川向こうに見えるのは、震災遺構の気仙中学校です。震災当日は卒業式の予行演習中で、教員、生徒は高台に避難し無事でした。
画像19 奇跡の一本松から、もときた道の駅方向へ戻ります。
画像20 平和記念公園を思わせるデザインですが、正直、あまりに美しく公園化されていて、何もないので、震災前の様子に思いを馳せることもできず、追悼という感情を持つことも難しかったです・・・
画像21 そんな中、ふと目に留まったのが、もともとここにあった道の駅高田松原の建物でした。これも震災遺構として保存されているのですが、ここでは、遺構が震災被害のすさまじさを伝えるものとして生かされていない気がしました。

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