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読書録/聖書英訳物語

「聖書英訳物語」
ベン・ボブリック著
千葉喜久枝・大泉尚子訳/永田竹司監修/柏書房


 多くの歴史遺産を抱えるイギリス。その中で一つ、人類の歴史に大きな影響を及ぼした、最も偉大な歴史遺産は?と聞かれたら、あなたは何を挙げますか?
 きっといろんなものが思い浮かぶと思いますが、この本を読んだあとでは、それらのものはすべて後ろに過ぎ去って、ただ一つのものだけが残るでしょう。

 聖書はもともと、旧約聖書はヘブル語で、新約聖書はギリシア語で書かれたものでした。これらは382年から405年頃にかけて、ヒエロニムスによってラテン語に翻訳され、これがカトリック教会の公式版聖書となっていきます。「ウルガタ版聖書」と呼ばれます。
 キリスト教はヨーロッパ各地に伝えられていく一方、カトリック教会の聖書に使われているラテン語は、次第に庶民になじみのない言語になっていきました。読めない言語で書かれた聖書は、一般の人々が読むことが禁じられ、聖職者だけのものになっていました。

 16世紀、ドイツのマルティン・ルターによって始められた宗教改革では、誰もが聖書を読めるようにする、ということが一つの大きな柱の一つになっていました が、それに先駆けて1300年代、イングランドでオックスフォード大学の教授だったジョン・ウィクリフが、カトリック教会の教える神学には誤りがあるとして批判し、信徒は誰でも霊的な糧である聖書を読むべきだとして、聖書を英語に翻訳しました。

 カトリック教会に対して激しい批判を繰り返し たウィクリフはやがて異端者とされ、その死後、オックスフォード大学から除籍されて彼の著作が焚書とされた上、墓をあばかれてその遺体を焼かれ、遺骨は灰 として川に流されました。また聖書を英語に翻訳することは異端の罪として禁止されました。(※遺体を焼くのは死者を冒涜する行為。死後の復活のためには遺体が必要と考えられていたから)

 本書の原題「Wide as The Water」は、ウィクリフの骨が灰となって流されるとき、与えられた預言

「エイヴォン川はセヴァーン川へ、
セヴァーン川は海へ注ぐ、
そしてウィクリフの遺灰は海外に広まることになろう、
あたかも水が大海原をなすがごとく」


からきています。本書では、宗教改革の先駆けとなり大きな影響を与えたウィクリフに始まり、異端者のレッテルを張られ、死刑にされることをも厭わず聖書を英 訳し出版することに文字通り命を賭けた男たち、そして英訳聖書が広まってイングランドの歴史を揺るがして行く様が、丹念に描かれていきます。イングランド の宗教改革、立憲君主制と議会制民主主義の誕生、ピューリタン革命、そして英語という言語表現の進化。聖書の英訳は、イングランドの中枢へ、波紋のように さまざまな影響を及ぼしていくことになります。
 現在使われている英訳聖書の基礎となった「キング・ジェイムズ版聖書」の完成で、本書は幕を閉じてゆきます。最初は一人の男の手によって始められたこの事業は、有名無名の多くの神学者、聖職者の手で仕上げられることとなりました。恐らく、その翻訳者の名前は本国イギリスでさえ、ほとんど知られていないのではなかと思われます。そのことについて、イギリスの劇作家バーナード・ショーが述べた言葉をご紹介 して、このレビューを締めくくりましょう。
「今日に至るまで、イギリス本国市民あるいは北アメリカの合衆国市民は、キング・ジェイムズ版聖書を一人の著者による唯一の聖書と信じ崇拝してきた。キング・ジェイムズ版は聖書の中の聖書であり、その著者は神である」。

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