震災遺構/石巻市立大川小学校(1) Junko Kohno@もくせい舎 2021年11月20日 15:27 2021年7月に一般公開された震災遺構・大川小学校を訪れました。 石巻市を流れる、北上川沿いを河口に向かって走っています。 鉄橋が見えました。真ん中より左側の塗装の色が新しいのがわかかります。津波で流されたようです。 震災遺構として残されている、大川小学校はもうすぐです。 2018年に閉校となりました。道沿いには、まだ交通安全標語の看板が残されています。 東日本大震災の際、津波にのまれた石巻市立大川小学校。2021年7月から、震災遺構として一般公開が始まりました。 敷地に入ってすぐのところに、献花台があります。学校というと四角い建物というイメージですが、大川小学校は曲線を多用したとてもモダンな建物でした。正面の丸い建物はアッセンブリーホールと呼ばれた多目的室でした。 全校生徒108名のうち、地震発生後も学校にいた78名中74名と、教員11名中10名が命を落としました。生存した卒業生が、中学3年生のとき「この校舎を残して何があったのかを伝えるべき」と提案したことをきっかけに、保存に向けて動き出したそうです。 倒れた石碑には、海抜1メートル12センチと記されています。 円形の平屋部分は、1、2年生の教室でした。 閉校記念碑に刻まれた校歌。歌っていた子供たちは、まさかこんな未来が訪れるとは思ってもみなかったことでしょう。 破壊のすさまじさを感じます。 平屋の教室は、中庭に面していました。 天井の抜け落ちた教室。 奥に見える2階建校舎には、3年生から6年生の教室がありました。 奥に見える2階建校舎には、3年生から6年生の教室がありました。 破壊は2階にまで及んでいました。 一輪車で遊んだ中庭。ほとんどの子供たちが一輪車に乗れたそうです。 校舎についての詳しい説明があります。 設計したのは東京の建築家、北澤興一さんという人。今までにない学校建築を、と依頼されたそうです。建築家として津波は想定しておらず、行政からも要望はなかったといいます。後悔が大きく、設計者であることを震災後5年の間名乗ることができなかったそうです。 渡り廊下も倒されていました。 根元から、ねじ曲げられたようになっています。 大川小学校は北上川の河口から4キロほど川上にありましたが、13メートルの高さで河口の追波湾を襲った津波は、すさまじい勢いで川を遡上してきました。 渡り廊下の先にあった、体育館。 今は見る影もなく破壊されています。 これは、野外ステージだったところです。 卒業制作の絵が残されています。 ここを訪れて衝撃を受けたことの一つは、校庭のすぐ裏に山があって、逃げようと思えばすぐに高いところへ逃げられたことです。なぜ、山へ逃げなかったのか・・・いいえ、山へ避難させずに校庭に子供たちを留めたままにしたのか。 「世界が全体に幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない」子供たちが描いた卒業制作の絵に添えられた、宮沢賢治の言葉が心に刺さります。 卒業した子供たちの訴えで保存が決まった大川小学校。設計者の北澤さんも、その保存に協力したそうです。(2)へつづく。 いいなと思ったら応援しよう! チップで応援する #宮城県 #東日本大震災から10年 #石巻市 #震災遺構 #大川小学校 #悲劇を繰り返さないために