ATEEZのパフォーマンスが熱気で溢れるのは ”2つの顔”を持っているから
KPOPナムドル第4世代のトップを走り「憑依型アイドル」の異名を持つATEEZ。
そんなATEEZのパフォーマンスには「2つの顔」がある、と思っています。
それは、「世界観に生きるATEEZ」と「彼ら自身の姿がみえるATEEZ」です。
この違いが、ATEEZの凄さと特徴を語る上で1番大きい部分になると思っています。
① 世界観を生きる
ATEEZは、世界観への入り込みが凄まじい。表現方法が異次元。世界観の中に生きてるんです、彼らは。曲に込められた意味が身体に憑依する。彼らのステージを見ていると、もう戻ってこないんじゃないかと心配になる。それくらい「彼ら自身」が消えていなくなる。ステージに立つ彼らから「自我」が消える。
最も強調したいのが、「世界観に生きるATEEZ」は、彼ら自身のカッコよさを魅せる、というのをしないこと。曲の物語をステージ上に描くために、ATEEZが存在している。楽曲と聴く人を繋ぐ、仲介役のような人たちになるんですよね。まさに表現者というか。
アイドルは普通、曲を使っていかに自分を魅せるかが重要なはず。なのにATEEZは自分を使って曲を表現するんです。アイドルの域を完全に超えている。他のアイドルと決定的に違う部分だと思いませんか?
世界観があるからこそ、作品に深さと重みが出るんですよね。そこに桁外れの表現力が加わるんだから、最強以外の何ものでもない。今後どんなコンセプトの作品が来ようとも、8人への絶大な信頼があるから大丈夫。理解できる自信がある。いや、理解してやる。彼らが表現したいことは何だろうか、と毎度ワクワクするんです。
■ 特にこれ!なステージ
私が大好きでおすすめしたいのが「INCEPTION」と「Deja vu」。この2つのステージは特に「世界観に生きるATEEZ」が表れていると思います。ストーリーラインも明確で、分かりやすい。
※ATEEZのストーリーの大枠の説明を一番下に書いてますので、知らない方はぜひご覧ください!(■ ATEEZが生きる世界とは、から)
ストーリーがわかると、ステージをより一層楽しめるし、なぜ彼らはそこでその表情をするのかが分かります。自分たちの世界観に浸り、それを伝えるための表情演技が格別に上手いから「憑依型」なのです。もはや舞台、と言わんばかりの演技。
■ ATEEZが本質的に持つもの
よく、ATEEZはやっぱりWONDERLANDやHALAHALAとかの感じだよね!と言われます(泣)。ですが、私はFEVERシリーズこそが、ATEEZの表現力の塊が前面に出ていて、全員のポテンシャルがあるからこそ成立する作品だと思っています。
確かに、ATEEZをイメージする曲の雰囲気はFEVERシリーズは違うかもしれない。だけど、根本にあるパッションや伝えたいこと、それを伝える手段は何ら変わっていない。本質的なものはずっと一貫していて、同じなんです。
( ”ゴリゴリのATEEZ” たったこの一言で片付けていいのか!?と声を大にして言いたい)
とか言いながら、私の好きなコレオTOP3に入るWONDERLANDとHALAHALA。大好きすぎて困っちゃうくらい大好きなんですよね。(衣装もコレオもコンセプトも曲も全てが好きすぎる)
■ ATEEZが生きる世界とは
世界観のあらすじをちょこっと、説明します。
ATEEZの世界線は、いくつもの次元に分かれていて、クロマーという砂時計を回すと次元を移動できます。じゃあどんな次元があるのか。
それは「現実の世界」と「芸術が禁止された世界」です。
「現実の世界」は、私たちが生きるそのまんまの世界をイメージしてもらえればとわかりやすいかと思います。
対して「芸術が禁止された世界」は、中央政府が最新技術で人々を制御し、すべての芸術を禁止した世界。SF的でフィクション色が強い世界です。
ATEEZは、その2つの世界を行き来します。ストーリーの中の、あるワンシーン、エピソードが丸ごと1曲となりMVになっている、と考えてもらえればと思います。ストーリーの流れと設定(メンバーひとりひとりが持つ生い立ち)を分かっているからこそ感じる奥深さがあります。
※ 6作品目のアルバム「FEVER_part1」から9作品目の「FEVER_epirogue」まで、韓国語と英語でストーリー(小説)が書いてあります。だから設定やあらすじをはっきりと示せるのです。(もはや考察の域を超え、小説をアルバムにのせ始める。恐るべきエンタメ性を持つKPOPに脱帽です... 私は小説を買っているのか、CDを買っているのか...笑)
② 彼ら自身の姿が見えるATEEZ
「世界観に生きる」のが、彼らの最大の特徴であり、強みであるとお話しましたが、もちろん「彼らそのものの姿」も存在します。それがまた素晴らしい!
「彼ら自身の姿」は、KQ Fellazのダンス動画や、カバーに表れていると私は思っています。これらのステージをしている時のATEEZに、”ストーリー” はないんですよね。つまり、ATEEZがATEEZのままでパフォーマンスできるわけです。ATEEZである彼らが自分のままでステージに立っているんです。
私は、ストーリーありきのATEEZの作品が好きですし、それを表現するATEEZが大好きです。ですが、その反面、”彼らそのものが見える” 時、さらに胸が踊ります。
”カバーをやらせたら右に出るものはいない。どんな曲でもATEEZの色に変える”と言われるのは、自分たちを表現するとはどういうことか、これが分かっているからだと思います。自分を消すこともできるし、自分たちの色に染めることもできる。こんな器用なグループ、ほかにある・・?
■ 特徴出てるよね!なステージ
私の大好きおすすめカバーがこちら。
こうやって見ると「あぁ、ATEEZってこうだよね!これがATEEZなんだよね!」と言いたくなりませんか?(うまく言葉にできないんですけれども・・・)
ストーリー上にいるわけではないし、カバー元の真似っこをしているわけでもない。ATEEZがATEEZであることの正解をピンポイントで叩き出す。それもカバーで。オリジナルのATEEZの作品になった途端、自我は消えるわけですから。私たちが彼らそのものを知ることができるのは、こういうステージからだと思っています。
■ これがカッコよさ
ATEEZの楽曲は、タイトル曲はもちろん、カップリングを含め、ほとんどがストーリーラインに沿った曲になっていますが、たっまーーーに、そうでないものがブッ込まれてきます(驚)
それが、2021 12/10リリースの 멋(The Real)。明らかに今までのストーリーに当てはまらないんですよね。MVから考えても浮いてるし。
でも、それでいいんです。
だからこそ『これがカッコよさだ』(方言)の説得力が増すんですから。ATEEZのカッコよさ。これは”彼ら自身”が示してくれているわけです。オリジナルで。
今までの積み重ねを完全に無視して、ここでこれを組み込んできたんだから。そんなカッコいいこと、もうないでしょう・・・(泣)
こう思うと、멋(The Real)が特段に”いつもと違う”曲に感じてくるのは私だけでしょうか。この角度から来るのが新鮮すぎて、違和感すら感じてしまうんですよね。
私はこの外し具合、次の伏線貼ってるんじゃないかとみています。(小声)
■ ATEEZは、やはり沼すぎる。
私が思う、ATEEZの凄さと魅力を「2つの顔」という分け方で説明しましたが、いかがでしたでしょうか?
ATEEZ、知れば知るほど沼。(みんな知ってる)
理解したすぎて見まくってるのに、見た分だけ魅了され圧倒され、言葉が出なくなる。とにかく桁違いなATEEZ。これからずーーーっと、期待しかありません。