「星か獣になる季節」

ドキッとした。推しに、推しだと思っている彼に、彼らに、抱いている私の気持ちは、もしかしたら軽蔑から来るものなのかもしれない、と。
そして、4年前まで、教室で生きていた私たちは、あの頃、きっと、軽蔑し合って息をしていた。


星か獣になる季節 最果タヒ

ぼくはきみが好きです。どんなふうに努力しても、大したことにはならない踊りばかりをきみは見せて、歌もそんなにうまくなくて、でも必死でがんばるきみが好きです。がんばって、がんばって、ここまできたんだということ、いつもひりひりと見ていた。(中略)かわいいと、思うこと、がんばってるね、と見ていることが、きみへの侮辱にならないか、きみを人として、アイドルやキャラクターやペットではなく、人として愛せているのか、不安だ。

努力をしている彼らが好きだ。努力をしていると自ら発信せずとも「努力をしている」と分かるその姿が好きだ。
私は、彼らも普通の人間だったらいいのに、と、思う。普通の人間で、お金持ちなんかじゃなくて、歌もダンスも普通より少し上くらいで、落としたグミもふーふーして食べるし、似合うと思って試着した服がなんか違ったりしててほしい。でも、こういう気持ちって、見下したい、ってことになるんだろうか。自分と同じ普通の人間。普通過ぎる人間が必死に努力して普通じゃない振りをして、そうしてステージに立っているところを、見下したいんだろうか。


教室から解放されて4年が経とうとしている。この本を読んでから、中高生の頃の教室でのあの気持ちが、喉につっかえるようになった。

あの頃、どれだけ余裕な顔をしていても、私は今の私で満足です、って顔をしていても、心の中では誰かを見下していないと、自分のかたちを保っていられなかった。自分よりイケてる、自分より楽しそう、自分よりモテる、自分より部活でいい成績を取っている、自分より勉強ができる・・・そういう気持ちに目を向けてしまえば、教室のなかで急に惨めで哀れで目も当てられない、そういう存在になりそうで怖かった。でもきっとそうやって誰かを見下していた私も誰かに見下されていたし、その誰かも誰かに見下されていて、結局、そうやってクラスの中でぐるぐるして、ひとりで立っていると思っている人たちが誰かに立たされて、生かされていたんだと思う。



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