【#3】盆栽との出会い② 盆栽を見に行こう
29歳。盆栽と出会って6年、盆栽を育て始めて4年弱。人生の備忘録。
の前に。
昨日のM-1。面白かった。
真空ジェシカが好きで、2021年決勝に出たのがすごく嬉しかった。記憶力がとにかく悪いのでなんのネタをやったのか忘れてしまった(調べたら1日市長でした)のですが、審査員との絡みもものすごく話題になって。このときはyoutubeに上がる予選の動画とかも片っ端から見てました。そして今年は4年目にして初めての決勝。どちらのネタも面白かった。最終結果発表前の上戸彩の「今年もCMのあとです~!」で芸人がずっこける恒例の件。川北がステージの階段を駆け上がりジョックロックさながら決めポーズしてるの腹ちぎれるほど笑った。
ただ優勝したのは令和ロマン。いやほんとすごい。令和ロマンの存在をちゃんと認識したのは昨年の決勝。去年、ダントツで面白かった。面白いというか完全にハマってしまった。突き刺さってしまった。苦虫を噛みしめるように放った「こんな吉本社員は…います…!」 これは面白いなんてもんじゃないと。そっから令和ロマンのことを調べ始めラランドとの交流とかテレビに出ない発言とか、大前提の芸人リスペクトお笑いリスペクトの姿勢とか。M-1はついにとんでもないモンスターを生み出してしまったと。そして今年も決勝までたどり着いたと。
阿部一二三選手が「令和ロマン」を読み上げた。どよめきのような静まり返ったといったほうがいいのか、とにかく異様な空気感だったと思う。ゾワゾワ。鳥肌のような。紹介VTR、せり上がり、出囃子。始まる。(私の)緊張感がマックスになったとき。
「終わらせよう。」
まじかよ。
空気がM-1になった。くるまの妄想に巻き込まれるケムリと我々視聴者。本当に終わらせてしまったかのような王者の貫禄。圧巻。圧倒。真空もバッテリィズもエバースも面白いけどあくまでくるまの生み出した世界で戦っているかのような。
中学の時の部活の顧問が卒業式の日にくれた言葉。
「青春の夢に誠実であれ」
何年かに一度思い出すけど、今日も思い出した。
「やらない後悔よりやって大成功」
夢中になれることに夢中にならなきゃって。
前置きが長くなってしまったけど、盆栽の話。
-盆栽との出会い②- 盆栽を見に行こう
盆栽という美術品
大学生当時、美術館によく行っていた。母や兄が美術館によく連れて行ってくれたのもあって、一人でも行くようになていた。私がハマっていたのは19世紀末~20世紀にパリで発展した絵画。パリ派、印象派と呼ばれているジャンル。有名なとこでいうとゴッホ、モネ、ルノワール。私はどこで出会ったのか忘れたけど、モーリス・ユトリロという画家にドハマリしていた。
モーリス・ユトリロ、作品も魅力的なのですが彼自身の悲哀に満ちた人生がなんとも言えない魅力を放っていて。
彼が絵を書き始めたのは少年時代、アルコール中毒の療養で。町でスケッチを描くのではなく買ってもらったポストカードの写真を見て描く。だから絵が写実的で白い。そして荒々しい。だけど「白の時代」から「色の時代」へと。徐々に鮮やかに、そして優しく。アルコール依存と戦い苦悩しながら描かれたパリの風景は美しい。彼は人生そのものがアートだった。
そして2019年夏には初めての海外旅行でパリを選んだ。時間の許す限り街を歩き、美術館に行き、アートと生活の接点が街中に溢れていることに感動した。絵画ファンであり都市フリークの私にとってパリに滞在したこの一週間は格別なものでした。母と二人で行ったのですが本当に楽しかったです。お母さん、ありがとう。
そういえば、日本ってアートと触れ合える場所少なすぎじゃね?そもそも「アート」ってなんだっけ?アートの語源はラテン語のars(=技術、技能)というのはわかるけど。とりあえず面白そうな美術館博物館調べて行ってみるか、と。そしてその流れで「大宮盆栽美術館」の存在を知りました。
盆栽ってアートなのかな?
というのも、フランスではアートは「建築」「彫刻」「絵画」「音楽」「文学」「演劇」「映画」「メディア芸術」そして「漫画」に分類されていて、盆栽どころか植物がここにははいっていない。けどThe Omiya Bonsai Art Museumて描いてある。盆栽ってアートなんだと、これは実際に行かなきゃと。
そういえば、なんで盆栽美術館がこんな町外れに。行けばわかるか。そんな感じでそして2021年初春。いわゆるコロナ禍が一時落ち着いて大学院の修論も提出したタイミングで友人を誘い、大宮盆栽美術館を訪れました。
大宮盆栽村
向かっているうちに気がついた。美術館のある住所は土呂町だけど付近に「盆栽」という住所がある。
埼玉県さいたま市北区盆栽町。住所は盆栽町だけど愛称は盆栽村?
なんなんだこの場所はと。伝統建造物郡(要は古い街)フリークである私はザワザワと、とんでもない場所に向かっているのではないかと。
盆栽村。盆栽関係者が多く暮らしたり、なんか気がついたら盆栽村と呼ばれ始めたとか、領主さまが盆栽といえばココみたいな感じで名前付けたのかなとか。だと思ったら、違った。全然違った。自然発生したのかと思ったら、どうやら盆栽のためにつくられた町らしい。
「おいおい、どこのどいつだこんな事考えやがるのは…。」
盆栽村の成立には実は関東大震災が大きく関わっています。震災により東京の街は壊滅し盆栽園も大きな被害を受けたそうです。そして東京・小石川の付近で盆栽業を営んでいた盆栽業者を中心に「広くて環境のいい盆栽のための村を作ろう」ということになり白羽の矢が立ったのが当時「源太郎山」と呼ばれていた大宮のこの地でした。
盆栽を生業にしている人、趣味者の方を誘致し盆栽のための街づくりが行われました。都市計画とコミュニティ形成。そして震災からの復興。しかも盆栽。生活必需品でもなんでもない。どれだけの執念があればこんな事ができるのか。「人間って…面白…!!」
1928年(昭和3年)に「盆栽村組合」が発足、この時盆栽村に住むためのルールを制定された。
その①、盆栽を10鉢以上持つ
その②、門戸を開放する
その③、二階屋を立てない
その④、垣根 は生垣とする
実にユニークで明快なルール。
アートは美術館で触れるしかないと思っていたら、まち全体が美術品の展示・制作施設だった。美術館はそのごく一部でしかなかった。いや違う。そんな単純なものではない。まち全体がアートだ。ここにあるものすべてがアートだ。やばい、盆栽って面白いかもと。
ただ、まだ盆栽は買っていない。
ちなみに来年開村100周年を記念した催しものが計画されているようで、気になる方はチェックしてみてください。あと毎年5月GWの三日間、盆栽祭りが開催されています。盆栽美術館は改修工事のため春まで臨時休業中です。(あと史実に誤りがある場合はコメントください)
続く