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巨星、消ゆ――競走馬・ガリレオの偉大なチャンピオン、そしてチャレンジャーとしての蹄跡

欧州を代表する種牡馬ガリレオ(Galileo)が昨日亡くなりました。

死因は左前脚の慢性的な疾病で、治療の甲斐なく安楽死の処置がとられたとのことです。
筆者にとってガリレオは、現在語られるように、フランケル(Frankel)を筆頭とした数々の名馬を輩出した大種牡馬であるのと同じ程に、卓越した競走馬として非常に思い出深い馬です。
ですから、ここではあえて偉大なる父ガリレオでなく、主に現役時代のアスリートとしてのガリレオを語ることで彼を弔いたいと思います。

ガリレオは、1993年の凱旋門賞を牝馬として実に10年ぶりに制した名牝・アーバンシー(Urban Sea)の第三子として1998年にアイルランドで生まれました
父はガリレオ以前の欧州チャンピオンサイアー・サドラーズウェルズ(Sadler's Wells)。
世界の大競馬事業体であるクールモアグループと、モンジュー(Montjeu)などを所有し既に大馬主となっていた富豪マイケル・テイバー氏の共同所有となり、アイルランドの名伯楽エイダン・オブライエン師の手により育てられました。
まぁ、今から見るととんでもないエリートですよね。
ここに挙がった人馬の名声を今日のように高めたのは間違いなくガリレオの功績によるものでもあります。

成長したガリレオは体高が実に16.5ハンド(およそ164cm)に及ぶ、かのイチョウの葉のような流星の美しい馬に育ちました。
ガリレオの才能はあのオブライエン師をして「最もパーフェクトな馬」「彼は水の上でも走ることができる」などの賛辞を惜しまないほどでした。
以下に記載しますが、後のガリレオの英雄的な快進撃の最中、関係者のこのような賞賛のコメントは枚挙に暇がありません。
それだけ素晴らしい馬でした。
競走生活を終えた引退後のあらゆる写真からですら私たちがそれを十分に感じられるほどです。
ガリレオって本当に言葉にできないくらいスターのオーラがすごくありましたよね。

そんなガリレオ、2歳シーズン2000年10月に母国アイルランドはレパーズタウン競馬場でデビューすると8ハロンの未勝利戦を14馬身(!)差の大楽勝。
2歳時はこの一戦のみだったにも関わらず、重賞勝ち馬を差し置いて同年に106ポンドという高評価が与えられました。
鞍上は日本でも当時同じみのマイケル・キネーン騎手。
ガリレオにはほぼ全てのレースでこの名ジョッキーが手綱を握りました。

ガリレオはエプソム・ダービー(以下英ダービー)を見据えてか、ゆったりとしたローテーションで翌年4月の準重賞から始動し、これを完勝。
(この時の2着馬が同年英セントレジャーを制しBCターフ2着の同厩馬Milan)
5月にダービートライアルSを制すると、本命馬の一頭として英ダービーに臨むことになりました。

"A FREAK"

ガリレオが抜けた1番人気にならなかったのは英2000ギニーを強い内容で制していたゴーラン(Golan)がそこに待ち構えていたからです。
この2頭がほぼ同率の1番人気で、この年の英ダービーはほぼ一騎討ちというムードでした。
しかし実際のレースはというと、残り2ハロンのところでガリレオが先頭に立てば、あとは突き放す一方。
ゴーランも懸命に追いすがりましたが2着を死守するのが精一杯と、ただただガリレオの強さが際立つ圧勝劇になりました。
筆者はこのレースをNHK BSの「世界の競馬」内で観て、興奮気味にその強さを伝える合田直弘さんの姿とともに鮮烈に思い出すことができます。
モンジュー、シンダー(Sinndar)に続いてまたも欧州にスーパースターが現れた瞬間でもありました。
キネーン騎手も「私が乗ってきた中で最良の馬」とガリレオへの賛辞を惜しみませんでした。
タイムフォーム紙はこのレースをして130という破格のレートをつけ、これはそれまで10年間の英ダービー馬としては最高のものでした。
また、意外にも父サドラーズウェルズにとってはこれが英ダービー初勝利になりましたーーこのあと末代まで含めてこれでもかというほど勝つことになりますが……。

大目標をこの上ない内容で手にしたガリレオは母国に戻り、返す刀でアイルランド・ダービーに出走。
今度は押しも押されぬ大本命として望み、4馬身差のこれまた大楽勝。
2着に入ったモルシュディ(Morshdi)の鞍上のフィリップ・ロビンソン騎手は「A FREAK(あの馬はバケモンだ)」というコメントを残しました。

ニジンスキー以来の快挙

英愛のダービーを制したガリレオは次戦を春シーズン中長距離の欧州古馬混合戦において最も権威あるキングジョージIV世&クイーンエリザベスダイアモンドステークス(以下キングジョージ)としました。
ここでのライバルはクールモアとならぶ世界的な競馬グループであるゴドルフィンのエース古馬ファンタスティックライト(Fantastic Light)でした。
ファンタスティックライトといえば、この年の前年のジャパンカップにおいて敗れはしたもののテイエムオペラオーやメイショウドトウと名勝負を繰り広げ、この年のドバイシーマクラシックではステイゴールドの2着と、日本人には馴染み深い馬でした。
日本馬に度々辛酸を舐めさせられたファンタスティックライトですが、ここに至るまで更に力をつけ、前年の中距離チャンピオンであるカラニシ(Kalanisi)を2度下してのGI連勝でこのキングジョージに臨んできていました。
それでも、ガリレオの評価は揺るがず、圧倒的1番人気の支持に。
レースがスタートするとこの大本命をファンタスティックライトがマークするような形で進んでいきます。
直線に向いたガリレオがいつものように先行抜け出しの必勝パターンに持ち込んだところで、外目を突いたファンタスティックライトが鋭い差し脚を発揮しました。
ここでのファンタスティックライトの脚はまさに鬼脚で、誰もがガリレオ危うし、いや、筆者は間違いなく交わされるとすら思ったほどでした。
しかし、そこからガリレオはこれまでのレースでは秘められていたギアを繰り出し、ライバルと同じスピードを発揮するどころか、さらに突き放すという恐ろしい芸当をやってのけ、決定的な2馬身差がついたところがゴールでした。
間違いなく、これがガリレオのベストレースと断言して差し支えないでしょう。
オブライエン師が「初めて厳しい競馬をした」と言うように、競馬としては相当に苦しい展開でしたが、おかげで我々はガリレオの凄まじい底力から来る真価を目にすることができました。
英愛ダービーに加えて、キングジョージを無敗で制したのはあのニジンスキー(Nijinsky)以来31年ぶりの快挙でした。

チャレンジ

これにより、ガリレオは伝統的クラシックディスタンスにおける歴史的名馬という肩書を確固たるものとしました。
そこで、クールモアとオブライエン師は来たる種牡馬入りを見据え、この歴史的名馬に更なる勲章を授けようと、通常考えられる凱旋門賞やブリーダーズカップターフ、ジャパンカップといったレース選択とは違うプランを構想しました。
秋の初戦は中距離10ハロンのアイルランドチャンピオンステークス(以下愛チャンピオンS)。
そして、シーズンの大目標としてはアメリカダート競走の最高峰ブリーダーズカップクラシック(以下BCクラシック)を据えるというものでした。
世界の主要な全てのカテゴリを制しての異論なきワールドチャンピオンの称号を手にし、このシーズン限りで引退、種牡馬入りするーーそれがガリレオ陣営が描いた青写真でした。
キングジョージのレース後にクールモアの総帥ジョン・マグニア氏は「ガリレオを(デビューの地であり、愛チャンピオンSの舞台である)レパーズタウンに連れて帰らないといけないでしょう」という印象的なインタビューによってこのプランを示唆していました。

"It's a shame one of them had to lose!"

来る愛チャンピオンSはガリレオにとって初の中距離GIタイトル戦であると同時に、かのファンタスティックライトとの再戦の場でもありました。
そして、このレースこそ後にロンドン・テレグラフ誌が「近代スポーツにおいてもっともエキサイティングで記憶に残る、歴史的デュエルだ」と称するほどの名勝負となるものでした。

打倒ガリレオに燃えるファンタスティックライト陣営、ゴドルフィンとその専属騎手であるイタリアの英雄ランフランコ・デットーリ騎手はこのレースの前にミーティングを設け、あるプランを用意しました。
それはガリレオをマークするのではなく、ガリレオよりも前で競馬をして迎え撃ち、封じる、というものでした。
前走のレースぶりからガリレオの凄まじい末脚に対して急襲を図るより、中距離におけるファンタスティックライトの適性を信じて叩き合いに持ち込む方が勝算がある、という判断だと思われますが、デットーリ騎手自身、作戦プランを聞いたときには正直驚いたそうです。

運命の一戦の火蓋が切って落とされると、ファンタスティックライトとデットーリ騎手が戦前のプランを粛々と遂行するのと対象的に、ガリレオとオブライエン陣営にはライバルの挙動とは別の誤算が生じていました。
ペースメーカーとして用意していたアイスダンサー(Ice Dancer)が想定よりも速いペースで逃げてしまい、実質的に2番手の位置の馬が先頭のようなレースになってしまったのです。
これによりアイスダンサーはペースメーカーとして機能せず、2400mのレースで発揮したスタミナをこの中距離戦でも如何なく発揮しようとしていたガリレオは一つアドバンテージを失うことになりました。

最終コーナーを周るところで、先行したファンタスティックライトに対して、ガリレオが末脚を解放して襲いかかるという展開になります。
そこからの直線は2頭の火花が散るようなマッチレースに。
バテたアイスダンサーをものすごい勢いで交わした両馬だけがまるで別次元にいるかのように馬群を突き放していきます
キングジョージとは逆で急襲するガリレオの剛脚に対抗しなければならないファンタスティックライトが不利な展開に見えましたが、今度はこちらが凄まじいファイトを発揮、デッドヒートを演じた2頭が脚色衰えぬまま、全く同じスピードでゴール。
頭一つぶんだけファンタスティックライトがガリレオを制していました
3着以下を6馬身も離しているあたり、この両馬のパフォーマンスが如何に傑出したものであったかがわかるというものです。

素晴らしい激闘を演じた2頭はどよめきと喝采に満ちたスタンドに迎えられ祝福を受けました。
勝ったほうのデットーリ騎手自身が「どちらかが負けないといけないのがもったいないくらいだ」と言ったように、死力を尽くした素晴らしい戦いでした。
一方、僅差ながら敗北したオブライエン師のショックは大きかったようでレース後に「messed up(めちゃくちゃだ)」というコメントを残しました。
これは前述のファンタスティックライト陣営の奇策と、機能しなかったペースメーカーのことを悔やんでのことでしょう。

戦いの末

残念ながら、ガリレオの輝かしいキャリアの物語はこれで終わりです。
激闘の疲れもあってか、愛チャンピオンSから直行で臨んだBCクラシックでガリレオは6着に敗れました。
米国流の速い流れにあって、卓越した先行力も持ち合わせていたガリレオは問題なく追走できているように見えましたが、直線の余力がなく、前を走るティズナウ(Tiznow)とサキー(Sakhee)が繰り広げるデッドヒートの後塵を拝する結果になりました。

さよならガリレオ

キングジョージ後のレース選択について、筆者自身そうですが当時を知るファンはヤキモキさせられた思い出になっていたり、また一部のファンは批判的な意見を持っているかもしれません。
愛チャンピオンSのレースぶりを見る限りガリレオのベストパフォーマンスが発揮できる舞台はクラシックディスタンスであることは明らかでしたから、これだけの名馬に文字通り土をつけさせるためにBCクラシックを使うのか、という見方もあったでしょう。
もし凱旋門賞に出ていてサキーを下していれば、競走馬として弟のシーザスターズ(Sea The Stars)と同等かそれ以上の評価を与えられていたに違いない、といえば、たらればとはいえ、そうかもしれないとは言えます。

しかし筆者は、いずれのレース選択も素晴らしいチャレンジでしたし、2つの敗戦はガリレオの競走馬としてのレガシーをなんら貶めるものではないということを強調します。

結果がどうであれ、ガリレオという馬がどれだけの可能性が秘めていたのかというのは後の産駒の大活躍が証明した通りです。
例え戦績にいくつかの敗戦が残ったとしても今日誰がそのチャレンジを否定できるでしょうか。
世界的にレース体系が整備され、より合理的なレース選択が重んじられる現代競馬を批判的な眼差しで私たちファンが見つめるなら、私たちファンは強者のチャレンジを今も昔も心から歓迎するべきではないでしょうか。
また、今こうしてガリレオの数々の印象的なレースを振り返れば、私たちは十分に彼の傑出したチャンピオンホースとしての資質を目の当たりにすることができます。

長くなりましたが、この記事は種牡馬のみならず、改めてアスリートとしてのガリレオもニジンスキーらに肩を並べる歴史的名馬として再評価したい、して欲しいと願うものです。

今日は偉大なチャンピオンであり、比類なき父ーーガリレオの冥福を祈るばかりです。


参考記事:


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