【漫画エッセイ】母が大動脈瘤破裂で運ばれました【episode22|命の行方】
■このシリーズの続きです■
<命の行方>
今回は入院2日目の娘視点のお話です。
<参考:入院2日目の母の様子>
<余談あれこれ>
命は物理法則なんだとわかりました。
物が落下するように、物質が風化するように、命とはただ生という善に向かう力。
生きることは同時に死に逝くこと。
これでやっと「生も死も幻想ならなんで死を選んじゃいけないの?」という長年の問いに答えが出た。
この時の母は、言葉を選ばずに表現するなら死にそうだった。辛うじて生きていた。外部から輸血して、酸素を送り込んで、栄養を送り込んで、管を通じて排泄をして。
人間に備わっている生命活動のほとんどを外部の力によって維持されたまま、その環境の中にぽっかりと意識だけが浮かんでいた。
言葉を発している姿がどこか奇異で不思議だった。
看護師からも「痛み止めと酩酊する麻薬のような作用のある薬を投与しているから、もしかしたらお見舞いで話しかけても話が成立しないかもしれない」と事前に告げられていた。
だけど、彼女は喋った。
強い酸素の吸入音で、雑なピアニッシモで演奏されるフルートくらいの音量であったけれど、わたしを認識すると話そうとした。
とても不思議な光景に見えた。
この人は今いったいどうなっているんだ。
記憶の順序もめちゃくちゃで、わたしに向かって、黒くした髪が似合っている、と言った。待てよ、そんなのずっと前のことだ。
だけど喋った。
次々何か伝えようとした。
周りの機器がアラートを鳴らしても、構わず伝えようとした。
意志を、なにかを。
とんでもないものを目の当たりにした気分だった。
それは普段見慣れた「人間」じゃなかった。
来てくれたのね ありがとうね 日付をメモしておきたいから書くものを持ってきて 日付を書いておきたいの 心配かけてごめんね 何にも悪いことしてないのにね
身体の状態と意識の状態が大きく乖離している違和感。
この人の身体は今、ほとんど正常じゃないはずだ。大動脈瘤の破裂後は、体全体に影響が出る。後遺症や合併症として他の様々な臓器の機能に問題が起こる可能性についても聞いていたし、今は特に肺が悪い、とも聞いていた。
なにもできないわたしを置きざりにして、目の前でこの人はどんどん生の方向へ突き進んでいった。
全ての力をいまに集結させようとしているように見えた。
いまより次のいまはもっと良く、そして次のいまはもっと良く、そして次のいまはもっと良く、ひたすらそれを実行しているプログラムだった。
圧倒的にいましかなかった。そのほかのことは全て削ぎ落とされていた。
生とはその人以外には絶対的に不可侵な領域なのだと思った。
周りが祈ったって何をしたって、生はその人だけの尊厳だ。
最終的にはその人自身の意志に委ねるしかない。
本人がどこにいきたいのかそれだけなんだ。周りはその姿を見守るしかできない。それは、立ち入れない、触れない、侵すことのできない絶対選択だった。
人間が普段している謙遜的様相=生易しい意志の放蕩なんて完全な茶番だと思えるくらい、日常生活では隠されている命そのものの、盤石で断固とした力を目の前で最大限行使され、わたしは戸惑った。
触れたことのない強大な力を見せつけられて、振る舞い方の最適解が全くわからない。ただただこの人が発し続ける意志の流れに翻弄されながら相槌を打っていた。
「早く良くなるからね」
そう言われたとき何かのスイッチが入った。
きっとこれは無意識で発された言葉だ。
意図されたコミュニケーションのための言葉なんかじゃない。
無意識でもそれを言うか。
すごい。前向きな...などという感想を持つ前に、正体不明の体じゅうの感覚を次々に支配していくような強制的な感情が湧き上がってきて、全身がキュッと様相を変え、涙が出そうになった。だけど、今ここで泣いたらこの人の真摯な姿勢に対し、無礼な気すらして強制的に停止させた。
この目の前のこの存在は、何の穢れもなくただ生に向かう意志でしかない。
これが本来の命の力か。いつもは人間というパッケージに包まれて見ることのできない根源的なものか。
そう感じた。
すると、さっき溢れてきた感情が、感動という名前を携えて再度こみ上げてきた。
もう存在がパワースポット化していた。尊いものに触れた時の感覚。そう、それは森の中に佇む長年生きてきた泰然とした巨木と会いまみえた時のような気分だった。
______わたしは、どこかでずっと答えを探していた。
全ての考えが 概念が 存在が
全て幻想で 本来は大きなひとつのわたししかないのなら
生も死も
永遠不変の中のただの錯覚ならば
時間も空間も本当は無く
たったひとつ わたしと今しかないのなら
「なぜ、死の方を選んではいけないのか」
すでに今生きているということは、生を選択した結果であり、そこから死を選択したいと願うのは、生き切りたいことの裏返し、もしくは生を否定したがる人間ゆえの、想像上の虚無への逃避を希求する愚かな邪念であると理解しても
陰と陽が統合され、全ての境界線がなくなり、全ての比較がなくなり、全ての優劣がなくなった世界では、生も死も等価値なただのデジタルな選択肢になるはずだ。
生と死を同一視して、ただ徒らに死を選択しようとした時に抵抗が出るのはなぜか。
生きて欲しいと願う心は
死にたくないと願う心は
執着と所有欲がまだ解消されていない結果であるのか。
それでは、全て解消したとして、何を願い人間として振舞ったら良いのだ。どうやってこの有限の人生ゲームを楽しんだらいい。どの視点で、どの動機で、どの価値観で、どの判断基準で。
この問に答えたくて、判断の軸をひとつひとつこさえてなんとかやってきたけれど、根底にある、なぜ死を選ぼうとすると抵抗感が出るのかについては決着がついていなかった。他のことはフラットに受け入れられても、生と死への特別視だけはどうしてもなくならなかった。
だけれど、目の前の彼女=母を見て、やっと答えが出た。
命が、生という善へ向かうのは物理法則なんだ。
物体が落下するように、物質が風化するように。
命は力そのものの方向性だ。
そこに理はない。
なぜなのか、どうしてなのか、そんな人間的な問いが介在する余地はない。
それそのものが持った性質であって、力であり、自然な流れの方向性なんだとわかった。
命は、存在を得、生き切って意志を主張し、周りのものに意志を刻みつけ、情報を託して機能を終え、全体の中に還っていく。
生き切るということは死に向かうということだ。
それは連続したものであって、生の先に自然と死がある。
ただ流れていけばいいだけだ。
意志を燃やして、燃え尽きる。
それだけのことだ。
これで生きることと死ぬことへのこだわりがなくなった。
生と死に対する特別視がやっと終わった。
命は善へ向かう力。そこに理由はない。
これでまた、ひとつ力を抜くことができる。
人間として考えるべきことは全部考え終わった気がする。
素晴らしいものを見せてくれてありがとう。
ものすごい光景に立ち会わせてくれてありがとう。
あなたの意志はわたしに伝達された。さて、わたしはそれを受けて伝達するよ。
命の流れに乗り、何の気なしに生を燃やして死へ向かおう。
娘はそう思った。
ま、あたりまえだけど、本人はその時のことぜーんぜん覚えていないんだけどね。
勝手に感動させておくれ(笑)
娘視点のストーリーでした。書きたい放題書いちゃった♡
J humind association 清水楚央
→次のお話<Episode23|「高額療養費制度」を賢く使おうぜ>
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