【漫画エッセイ】母が大動脈瘤破裂で運ばれました【episode07|発症〜入院ダイジェスト(4)】
■このシリーズの続きです■
<余談あれこれ>
おおらかであることはドライであることと裏表
家族には、それぞれ独自の形や、それぞれの役割があると思います。
そういう意味では、多分私は、我が家では気が抜ける担当なんだと思います。
みんなが「今、すごく大変なことが起きている!!どうしよう」となっている時に、「あわてないあわてない。ひと休みひと休み。ほら、ご覧。空が綺麗だよ。」という担当の放蕩娘です。
家族というチームで動くときは合理的のんきというスキルで、チームに貢献しています。
『深刻な気持ちになったり落ち込んでも問題は解決しないし、視野はどんどん狭くなってくるし、その雰囲気がお互いに伝染し合うしいいことないじゃん!!(*≧д≦)o
のんきな方が、豊かな精神状態で大局観を見失わずに物事を見られるから、結果ハッピーに近づくんじゃない?さあ、楽しもう!』
そんな有様なので、たまに変わっているねぇとか、意外とドライだねと言われますが、性格なので仕方がない。
周りの人が「あれ?これってそんなに思い詰める必要なかったことなの?」と少し、気持ちが楽になる効果もあるようです。
今回は、このスキルが結構役に立っているように感じます。
子供って親を喪失するイベントを受け入れられるように、成長して心を育んで行くのかもしれませんね。
『出会いと別れ・獲得と喪失』
これは対になるもの。
出会わなければ別れることもなく、得なければ手放すこともない。
出会いの喜びを手にした瞬間、同時に別れの悲しさも受け取る運命をもらう。人は出会った瞬間に、同時に2つの感動を体験するチケットをもらっているんだと思います。
私は、いいことと悪いことっていう区別があんまりなくて、何かが起こったら、「イベントだ!感動するチャンスだ!ありがとう。」ってなってしまいがちです。
なので、嬉しいのがいいことで、悲しいのは悪いことという概念も薄めです。
入ることと出ること。
現れることと去っていくこと。
生まれることと死ぬること。
これは、反対の動きなだけで、どちらも本質的には同じことのはずです。
合理的のんきスキルを高めたかった私は、無理なくそう思えるように、ずっと心をストレッチしていました。
その中で、ずーっと最終的な答えが出ていなかった問いがありました。
なぜ人はどちらかを歓迎し、どちらかを忌むのだろう。
そして、いいことも悪いことない境地で、何もかも受け入れてしまったら、一体何を基準に何に向かえばいいのだろうか。
生きてもいいし、死んでもいい。どちらも同じことで、自由なものだ。大切な人が死ぬる時に、それでもいいと思えるだろうか。
思ってしまうのだろうか。
そして、そう思ってはいけないと感じてしまうのはどうしてだろうか。
今まで、この問いは机上の空論でしたが、今回の一件で自分なりの答えがでました。それについても近いうちに漫画で描いてみようと思います。
余談あれこれは本当に好き勝手描いています。説明足らずだったり、何言っているんだこの人?と思われるかなぁと思いましたが、せっかくなので今思い浮かんだことを素直に、ありのまま。
それでは、また次回。
清水楚央
→次の話<Episode08|疲れた時は疲れよう>
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