雑記:2020年を言語化する(前半)
そういえば2020年をしっかり振り返っていなかった。
振り返ってみて初めて気が付いたけど、5月に向かって緩やかに異常事態が日常に溶け込んで行き、何かが麻痺していっている。
今見ればわかる。だけれど、その時はなんとも感じていなかった。意外と私は平気だとすら思っていた。
2021年。そろそろ振り返って言語化してもいいのかもしれない。
2020年で何を見てきたのか、何が変わったのか。
このnote記事を読まなくてもいいから、自分の手帳やtwitterを見ながら(twilogが見やすくておすすめ)振り返る時間をとると、違った2021年が見えてくるような気がした。
これは、ある観測点が記録した2020年の一つの側面。
あなたの2020年はどんな年でしたか?
記:サカキ
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1月|嵐の前の日常・ビフォアコロナ時代
・勉強したことを抱え込んでも仕方ないってことで、オンラインホームセンターを始めた。世の中との接続点を探っていた頃。
・カウンセリングやらコーチングやら、変化のサポートをずっとしてきたけれど、個人を変えずに環境を変える方に考え方がシフトチェンジしてきた。
・問題がないことは問題ではないが、生きがいのない世界はつまらない。
・世界観の閉塞性と価値観の偏りは永続的なテーマ。
・オリンピック選手村がディストピア化する都市を象徴しているようで、これは健康的な人類の暮らし方ではないと直感的に感じ、ならばどういうまちのが理想的なのかと考えさせられた。
・まちづくりも2016年からずっとテーマ。
まだ、ウィズコロナは始まっていない。
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2月|ビフォアコロナ時代の末期、人類と暇
・フリーターもすなる"うーばーいーつ"なるものをしてみんとてす。
ポケモンゴーしている気分になった。
・この頃のテーマは狂気。狂気というスパイスによって人生は豊かになるとこととかを考えていた。
・人類最先端の悩み、それは「暇」。
閏日を迎えた。
東京事変のライブは行われた。
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3月|変化の予兆、そして「ワニ」が死んだ
・誰かにわかるように話そうとすればするほど、閃きが凡庸なアイディアに収斂していくことに疑問を感じたりしていた頃。
・どうせ世の中が大きく変わってしまうのなら、混乱に乗じてこれまででは、到底受け入れられなかった理想論を混入させるにはどうしたらいいのか考えていた頃。
・結果、現実世界側での評価や実績を一旦放棄することを決断した頃。
・身体性が失われていくことは必至だったし、計算機にない人間の特性を健康に保つには狂気や熱狂が必要と踏んでいた頃。
・この時期に、物理世界で「さあ何かやろうぜ」と言っても反応はないと思ったので、空想空間の中で経験値を上げて来るべき時を待つことにした。
空港のように各コミュニティを繋ぐ機能が必要になるだろうということとを考え始めた。「ターミナル駅という宇宙船に暮らすらしい」というところはまだ具体的に実装できていない。オンライン側のもう一つの住民票のことを言っているのだと思うのだけれど。
そうこうしているうちに、あの「ワニ」が死んだ
祝祭性の欠乏はこのころから現れ始めている。生活圏の分断を感じ始めた。
・久しぶりに五感を伴う「新しい感覚」を感じたできごと。分断された複数のタイムラインが同時に別々に流れていて、その交点で僕らは人に出会うのか、というインスピレーションを受け取った日。
・何を奪われて何を与えられたのか、結局腰を据えて話しはじめるのは2021年になってからになる。コロナ給付金がどうこうという精神場に左右されないようにとりあえず避難した。そんなことにエネルギーを使っている場合じゃない。せっせと知見をためていきたいと思っていた頃。
・残念ながら、まだ地球人の内部結束は図れておらず、それぞれの生存戦略にいそしんでいる。この後か?もしくは結束なんて過去の遺産か?
・ヒューマンネットワークという優秀な分散型台帳を材料に何をしていこうか考えていた。
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4月|緊急事態宣言と異常事態の日常化
・空想の宇宙(LassLos)を一生懸命作っていた。
・景色が変わった。どこに行っても人がまばらだ。
緊急事態宣言が出た。
・助けよう!系のクラウドファンディングや呼びかけが見え始めた頃。
・オンラインライフに慣れてきた頃。割と快適じゃない!とか思ってた。
・時代を変えるより人間が慣れる方が早い。
・こういう人々はたしかに強かったけれど、「ローカルで生まれた富を社会の共有財産にし、未来を提案する力が弱い」ことを計算に入れていなかった。
・こういう緩やかな理想論では、人々にわざわざしなくてもいいことをさせるだけのモチベーションにはならないんだよ。
・これは未だに一理あると思っているが、2021年1月現在、未だ人類はそこまで割り切れてない。
・この頃は人類の順応性に感心していたけれど、順応しすぎると回復先を見失うということを考えていなかった。
・そして、異常事態は日常に溶け込んだ。
・このあたりはまだ計測できてていないから何ともいえないけれど、気になるテーマである。価値観が乖離しすぎると対話不能な状態になるのか否か。
・この頃は、Blenderやったり、A-frameやったりデジタル空間の開拓のための体力作りにいそしんでいた。
・人類の経済活動が止まり、地球がきれいになってきたことを実感し始めた頃。
・会いたい人にだけ会い、それ以外の人には「コロナなんで」という言い訳で会うのを回避できるようになった頃。
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5月|オンライン空間に生活が移動した
・5月、人々はどうぶつの森に集まっていた。
・まちから人が消えた。そんな中で自分が何を思うのか知りたくて、積極的に街に出ていた頃。
・そろそろ何かを触りたくてたまらない頃。デジタルの情報量の少なさに気づき始めた頃。
・まだ、日本人が正しくコロナを恐れていた頃。
・日常が防災対策に埋め尽くされた頃。
・バーチャルマーケット行ったら激しく酔った。アナログを単純にデジタルにフル移行できないと体感した日。
・この先どうなるのかわからないし、考える体力もなかった頃。今考えるとノスタルジーと根拠のない疲労感と日々を過ごしていた気がする。だがこの頃はストレスなんて全く自覚していなかった。
・正しく異常事態を認知していたのは、この頃が最後な気がする。
・memexのライブ良かった。人は想像力の中に表現の中に先に未来を見るのだなと思った。
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6月|麻痺した感覚と充実のおうち時間
・美術館や科学館が再開し始めた。
・「生きててえらい・・・!」まさにそんな感じだった6月。
・異常事態への麻痺が起きている。もう何が起きてもそんなに感情を揺さぶられることはなくなった。味わい深いとか言ってるし。
・給付金も出て、それぞれ個や自分の生活に集中し始めた頃。趣味や料理やオンラインコンテンツをゆっくり見れて、おうち時間も悪くないんじゃない?とか言い出した頃。
・じっくり取り組むことの大切さに気付いたり、マイペースにゆっくり過ごすみたいな世相だった気がする
・わたしも絵を描いたりしていた。
・何かに専念することで、今に意味を見出したかったのかもしれない。
→後半戦につづく。