【拝啓 私】自分1人で何とか頑張らなきゃと思っていた時の私へ【手紙note】
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拝啓 私へ
お元気ですか?
これを見ている私は、いつの時代の私ですか?
どの私でもいいから、見てくれてる事を願って書きますね。
今日私が伝えたい事、
それは【自分1人で何とか頑張ろうとしていた】ことについて。
生活・悩み・お金・困難。。。
私に関わる全てのことは私一人で解決しなきゃ。
そう思ってた。
だって世の中の人みんなそうしてるから。
どうですか?
全部自分ひとりで解決するのって難しくない?
自分ができることって結構少ないから妥協が多くないですか?
今、生きてて良かったと思えていますか?
正直言うとね、
今の私はその生き方は辞めました。
もしこれを読んでいるいつの時代かの私が、
自分1人で全部何とかしようと思ってしまっていたら、
これを見て一つの参考にしてもらえると嬉しいです。
世の中の人みんなそうしてる。
さっき私はそう言った。
でも本当に一人でなりたっていることってあるだろうか?
私はそこから考え始めることにした。
盲目的に孤独に頑張ってるって思い込んでやしないか。
視野を狭くして見ている世界感が小さいのなら、
使える自分の範囲も限られてくる。
私の思ってる私の範囲じゃなくて、
本当に私が生きてるのって、
私一人で頑張っているのかを確認しようと思った。
私は今この手紙を書いているのはパソコンを使って書いている。
パソコン作業はもちろん一人でやっている。
当然だ。
私は誰かとパソコンを共有しながらだったら、
作業するのに順番待ちしなきゃいけなくなる。
非効率だから自分のパソコンを独占的に使っている。
この状況下で、
私はどうやって一人でやってないと言えるのか。
まず私はパソコンっていうツールを使っている。
パソコンにはキーボードやマウス・CPU・メモリ・HDDといった
様々なものが同時に動いて成り立っている。
「一緒にやる」という概念を「人」というカテゴリ内だけで考えると確かに孤独だ。
でもその固定概念を突破らって考えた時、
共に動いてる仲間の存在に気付く。
「人」というカテゴリを入れたとしても、
自分で今まで気付かなかったこともあった。
私は今これを書く作業に集中している。
集中できている。
集中できているのは何故か。
邪魔が入らないからだ。
誰も私の邪魔をしていない。
電話かかってきたりメールの返信を急かしてきたりしてくる人が居ないから、
今私宛ての手紙をこうして書く事が出来ている。
これって、
私の作業をする時間をみんなが作ってくれていると捉えることもできるよね。
おいおい屁理屈なんて言わないでおくれよ。
それが屁理屈だと捉えてしまう私であったら、
素直さパラメーターが相当引くぜよ(何故土佐弁(;´Д`))。
私は事実から自分の思いたいように思ってるだけさ。
結局自分に関わる全てのことは、
自分が思ったようにしか自分には映らないじゃん?
例えばさ、
映画を見に行ったとするでしょ?
その映画を作った監督がどんな思いでこの作品を作ったのか、
その真意ってもし事前に本で読んで知っていたとしても、
それと全く同じことを映画から見て受け取れるかって言えば、
そんなこと有り得ないよね。
映画を見た感想なんて、
見た人それぞれで違うじゃん?
映像が綺麗だった。
あの登場人物のあの言葉にグッときた。
あそこのあの部分はちょっと私的にどうかと思った。
見た人の着眼点と感性によって受け取ったものは違う。
それは見た人それぞれの個性から出た感想であって、
一つの映画という作品から生み出されたものという意味では同じなのに、
見た感想は全部違う。
そこに正しいも間違ってるもないよね。
受け止め方は、
同じ状況・事柄に同時に遭遇したとしても、
一つとして同じ考察は出てこない。
表現も違うし捉えどころも様々。
似たものがあったとしても違うもの。
だからみんながみんな思いたいように思って、
自分の人生を生きてるってことは事実なんだ。
だから思いたいように思えばいいでしょ?
私一人が手紙を書いているという作業に、
この世の存在のすべてが関わってると考えれば、
手伝ってくれているものばかりと捉えることもできるじゃない?
一つの捉え方の選択肢としてはさ。
家という空間は雨風凌いで手紙を書く環境を確保してくれてる。
エアコンだって私の快適な室温を維持してそこを気にするってストレスを無くしてくれてる。
電力会社が電気を供給してくれてるからパソコンが使えてる。
みんな私の為に後押ししてくれている。
ね?
一人で頑張ってないでしょ?
いろいろな人・物が私に力を貸してくれているんだよ。
相手の意図は考える必要はない。
私がそう思ったら、
私にとってはそれが現実でいいじゃない。
もちろんそこに固定するのは更なる盲目を生むから、
柔軟な捉え方は必要だけどね。
助けてくれてて当たり前って思うようになったら、
その傲慢さで人が離れていったり、
物も私なんかの力になりたくないと早く壊れてしまったりしたら困るからね。
そこ発想を逆に捉えてみると、
みんなが助けてくれていると考えるならば、
助力を頼みやすくならない?
「ちょっと○○で困ってるんだけど手伝ってくれないかな?」
ってさ。
助けてくれるかくれないかは今迄の人間関係次第だけど、
大体に人はまず助けるか助けないかの二択は必ず用意してくれる。
助けてくれるの選択肢をしてくれる人がどれだけいるかは、
人に投げかけてみないと解らない。
ここでどうせ助けてくれないだろうと思ってしまったら、
その発想はその通りの現実を引き寄せ兼ねないよ。
誰か助けてくれると信じて投げかけてみて。
「私の認識の範囲を広げれば、
今迄見えてなかったたくさんの存在が
私の応援をしてくれていたんだと気付く。」
自分が思ってる自分の範囲を常に大きく感じるようにしてみてね。
ひとつだけ付け加えると、
助けてくれると思って投げかけた人が、
助けてくれない時もあるってこと。
投げ掛けたタイミングや心身の状態によっては、
相手にも都合があるから叶わないことも当然ある。
そういう場合は一度断れたら諦めるんじゃなく、
「いつならいい?」と更に投げ掛けてみて。
考える余力が相手にあるなら考えてくれるはずだよ。
そしてさっきも書いたけど、
自分の認識の範囲を広げてみると、
助けてくれる人の範囲も広げられる。
ドラえもん方式さ。
のび太くんの友達にドラえもんが居るかもしれない。
一人の友達のその奥に、
助けてくれる人が待ち構えていてくれる可能性だってある。
「誰か知り合いで助けてくれそうな人居ない?」
そういう投げ掛け方もしてみていいんじゃないかな。
頑張れ私!
自分で思い込んだ世界観を柔軟に広げることができれば、
ひとりじゃないよ!!
だから人から頼まれ事をされても、
断る自由はもちろんあるけど、
出来る限りの事はじてあげてね。
これを読んだ私の心が、
少しでも自由と自分らしさを大切にして生きられますように。
敬具
追伸
そうそう、
これを読んでる私やその知人友人に
「私ってなんで生きてるんだろうって悩んでる」って人居る?
もし居たらこれ読むと参考になると思うから載せておくね。
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