OH!へんろ。親子の88か所巡り(57番札所):府頭山 栄福寺(愛媛県)
わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。
今日の煩悩:
「煩悩」というのは実は「人間らしい」ものなので、それを無くしてしまうとするとAIやロボットになってしまう可能性もあるので、それはそれで寂しいものかもしれません。
私はシティ・ポップス世代ですが、こういう歌の歌詞もですね、だいたい煩悩ゆえのものです。恋、愛、失恋、離別、死別、不倫、怒り、嫉み、恨み、辛み、自信喪失、防衛、励まし、復活、夢、希望、不運、悟り。
そのど真ん中にいれば、時に当事者は世界の不幸の全てを背負い、不運を嘆き、怒りに震えるのでしょうから、辛いのは事実ですね。でも、結局は「人間」だからしょうがないとしか言えないところもあります。
来世は何も考えたくないので、岩か、苔か、雲になりたいと思ってみても、あまり意味はないでしょう。
人間の元を辿れば人間と一緒に生きることが生存確率を高めるわけなので、煩悩の対象は「人間」になるに決まっている。相手に勝ちたい、リーダーになりたい、あの人と一緒にいたい、未来について考えたい、音楽を作りたい、絵を描きたい、思想を構築したい、・・・・というのも、集団の生存戦略の派生でしょう。
いや、やはりね、恋愛ソング、失恋ソング、小説、アートを楽しむ人間の能力も、人間の煩悩がないとそもそも楽しむべき存在にもなれないのよねと思います。きっと場合によっては辛さと引き換えになることもあるかもしれないけれど、それでもその権利を放棄することは躊躇われるのです。
私の思考や行動もホルモンやら、時や人の流れやら何やらに身をゆだねていることがほとんどで、ある意味、生存戦略の中に置かれたロボットみたいなものです。でも、生命のロボットになることで、実は、感情やら芸術やらも楽しめている。まあ、そんな感じです。
御詠歌:
この世には弓矢を守る八幡なり 来世は人を救う弥陀仏
本尊:
阿弥陀如来
創建:
弘仁年間(810〜824)
真言:
おん あみりた ていせいから うん
歴史:
縁起によると、嵯峨天皇(在位809〜23)の勅願により、大師がこの地を巡教したのは弘仁年間のことです。内海の風波、海難の事故の平易を祈って、府頭山の山頂で護摩供を修法されました。その満願の日に風波はおさまり、海上には阿弥陀如来の影向が漂ったとされています。この阿弥陀如来の尊像を本尊として安置したのが創建といわれています。
所在地:
愛媛県今治市玉川町八幡甲200
駐車場:
あり