見出し画像

OH!へんろ。親子の88か所巡り(87番札所):補陀落山 長尾寺(香川県)

わたしが、子どもたちと決めた今回のお遍路ルールは一つだけ。納経所で御朱印をいただくのは子どもたちの役割ということ。ちゃんと挨拶をして、御朱印をお願いし、最後はしっかり御礼をする、です。

画像1

今日の煩悩:

Googleさん等が使うAIは、私の調べ物や作業の痕跡を分析して、関連記事などを「しれっ」と紹介してくれます。おかげで、私が取り組んでいるマニアックな研究に、少なくともキーワードが適応したり、けっこう面白い記事を提示してくれるのです。私に「流れが来てんじゃね」と勘違いさせてくれるわけです(* ´艸`)クスクス

しかしですね、AIだけでは説明できないような、関連情報が寄せられることがあります。声を聴いている?脳をスキャンしている?というくらいのことをしないとピンポイントで紹介できないような記事が表示されたりします。さらに、AIとは関係がないような、仮想空間ではない現実世界からも人や情報がやってくるのです。これはどうやら私の側にも理由がありそうです。

以前、未来学者のローレンス・トーブさんの話を何かの機会に目にしました。カオス理論は、表面的には無秩序に見える過程にも、その奥には秩序だったパターンがあって、それを読み込むことである程度の予測を可能にさせるということを仰っていたと思います。

たぶん、私に集まってきているように見える情報も、何らかの秩序をもってもたらされているか、わたしのその「秩序を読み込むセンサー」の枠組みがそれに適合したかということかもしれません。

というか、研究の多くは、すでに先人たちが感じ、考え、次世代に引き継いだ知見に依存していて、完全にオリジナルなどというものは普通はないのでしょう。かりに、作品として残っていないものでも、少なくとも過去の世界の中で誰かが感じ、考えたことがほとんどだと思います。

物事を合理的に考えようとすると、物事をどの視点から見るか、どの立ち位置から考えるかということが重要になります。枠組みの設定が必要だからです。枠組み横断ももちろん大事ですよ、それはアートや芸術が活躍できるところでしょう。

私が何らかの潮流とシンクロしていると、何かを感じることが多くなってのは、たぶんですが、私が研究のプランを考えるときに考える、最も上位のイメージが「2足歩行をして、ジャングルを出でて危険なサバンナを行き、難儀な生活の中で生存確率を高めていったホモ・サピエンスの姿」であることが関係していそうです。

だって、その枠組みセンサーって、辿っていけば人間にかかわる大抵なことにつながるじゃないですか。

しかし、そのイメージを連鎖させていく営みこそが、人間が獲得した他の動物が持てなかった能力(たぶん、前頭前野の発達とドーパミン作用)なのだと、令和3年の年末に思ったのでした。

御詠歌:

 あしびきの山鳥の尾の長尾寺 秋の夜すがら御名を唱えよ

本尊:

聖観世音菩薩

画像3

創建:

天平11年(739)

真言:

おん あろりきゃ そわか

歴史:

一説では、天平十一年に行基菩薩が道端に楊柳の霊夢を感じ、その木で聖観音菩薩像を彫造し本尊としたそうです。その後、弘法大師が訪れ、入唐が成功するように年頭七夜に渡り護摩祈祷を修法して国家安泰と五穀豊穣を祈願されました。

画像2

所在地:

香川県さぬき市長尾西653

駐車場:

あり(無料)

テラノ喫茶室:

長尾寺本坊膳所  0879-52-5251
懐石弁当などを購入できます。

画像4

画像5

公式HP:



いいなと思ったら応援しよう!