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論理学
最近、理屈の通らない話がまかり通っている。
気になって仕方がないので、昔、勉強した記憶のある論理学を再度研究してみることにした。
古い歌に「傷だらけの人生」というのがあった。
何から何まで真っ暗闇よ
すじの通らぬことばかり
右を向いても左を見てもバカと阿呆のからみあい
論理学では
「論理」とは、辞書的には、「筋道を立てて物事を考えるときの『言葉の仕組み』」といったところであろう。
とある。
言語を使って相手に理解させることを目的にすると、「理由を述べる」ことは言葉を「他人に届かせる」ことだと定義されている。
言葉が共通の理解概念としてあるわけではなく説明を付け加えねばお互いに理解できない状態にあるわけだ。
この本には丁寧な解説が展開されているが、理解を混乱させる記述もある。
芸術作品って『わかる』?
芸術作品はわかるものなのだろうか?
私は今まで、芸術とは言語を使って理解するものではなく、作家が感情、感動を理屈を抜きにしてぶつけたものが芸術作品であり、その作品を見たものが作家と同じ感情、感動を共有するものが芸術だと理解していた。
別項目で結合論証の説明で神を使っている。
❶ 神は死なない。これに対して
❷人間は死ぬ。したがって
❸人間は神ではない。
しかし、日本では人間は死ぬと神仏になるとされていることが無視されているので、論理的にぐらついてくる。
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ここで Newton 別冊を見つけた。
読み始めると面白くて、時間の経つのを忘れてしまう。
しかし注意深く読むと、論理学とは強引に言葉に意味付けをして、相手をねじ伏せるための武器に利用されているように思える。
言葉の遊びとしては面白いが、扱いには慎重を期すべきだと思う。