セクハラ
最近セクハラに関するニュースを聞く機会が多い。
セクハラについて、法律ではこの様に規定されているが、その範囲は職業上の規定に留まっている。
落ち着いて考えてみると、疑問点が多く見つかる。セクハラについての根は深い。
一神教を信じている人たちの多くが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に関わっている。
彼らは、基本的にこの世界と人間は、神によって創造されたものであるという世界観をもっている。
神が土より男を作り、男の肋骨から女を作った、と述べられ、それぞれアダムとエバと名付けられた。
そのエバが、神に食べることを禁じられた善悪を知る木の実を食べ、アダムにも食べさせた。
という物語を通して、エバが人類の原罪を作り出したとの論調になっている。
イスラム教においては、女は男の所有物と規定されている。
セクハラ論議をする人は、人生の全てを左右しているこの宗教的性差別については何も意見がないのだろうか。
善悪を規定したことにより、「自分が正しい、相手が間違っている」との認識を持つ様になり、争いが起こり、エスカレートして人類に不幸が降りかかっているのが現状だ。
善悪を規定すると、人類が不幸になるのは当然なのだが、その原因を女性だけに押し付けるのはセクハラと言われないのだろうか。