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「発達障害と共感」違いをあきらめない架け橋

はじめまして


Twitterでは「えいすけ@本音で生きる孤高な菩薩」という名前で活動しています。

私はいま
「頑張っているのに報われない…」
「不器用で真面目なばかりにいい人で終わっている」
「成功体験が少なく、自信を失っている」
そうした自分を受け入れられない人たちを対象にした
コミュニティの立ち上げを考えています。

発達障害の人達、HSPと言われる繊細さん、就職氷河期世代など
生きづらさにもがく人を1人でも楽にしてあげたい…

横への広がり、そして深くつながれるコミュニティの立ち上げを目指しています。

多様性を認め合い連帯していくために「共感」の概念はとても大切。
共感への理解を深めるため、認定講師育成講座を受講しています。

自分にとっての生きづらさ

最近は老若男女問わず、心に余裕がない人がとても増えています。
今の世の中には寛容さが無いと感じています。

安心して失敗できる場所がない。

私は発達障害を抱え、数々の失敗を経験し
現在も社会の底辺にいるような気持ちが残っています。

なんだか絶望しかない人生…これでいいのか。
諦めきれない気持ちが強くなり
自分の本当にやりたいように人生を歩んでみようと心機一転。
振り返ってみると、自分の行動を縛っている考えに気づきます。

「失敗するのが怖い、何を言われるかが怖い」

発達障害者の多くは、自らが持つ独特の価値観
不注意の特性などが災いして成功体験を積み重ねられず、自信を失っています。
強みを発見する場、安心して強みを発揮できる場所がないと感じています。

「社会の仕組みの中で生きていく時に困り具合が伝わらない」

同じような苦しみを感じている人たちにたくさん出会います。
自分は浮いた存在にように感じる時がありました。
思うようにことが運ばなくて誰かに相談したとしても「みんな同じだよ」と言われ「とにかく頑張れ」と言われてしまう。

そして、自分の思っていることを上手く言語化できないからまた伝わらない、、、
そんな時は自分が思っていることの10分の1も
相手に伝わっていない感じがして
孤独感が生まれ、そして増していきました。

相談機関に相談しても何か月も待ったり
たらい回しにされたりとなかなか解決に向かわない。

今の社会の仕組みの中では
『自分が納得し安心できる場所がない』
という現実を目の当たりにしました。

家族との関係の中で気づいていったもの

私の父親は厳格でとにかく怖かった、真面目で面白くない、子どもながら気を許して話せない存在でした。
自分の話をしても「大変だったな」とは言われず
逃げ道を塞がれるように何時間も説教をされた記憶が蘇る、、、
そんな体験を繰りかえしてきました。

そして父親に全部反発してくようになりました。
例えば「男らしくしなさい」と言われたら
男らしいことはしたくない、運動部には入らない
全部反対の事をやり続けました。

男の子だからとかではなく
「えいすけ」としての個性を認めて欲しかった。
論理的ではなく情を感じたかった、安心を感じたかった。
「えいすけ」というありのままを見て
こんな自分を愛して欲しかった。

そしてエンパシーを学んだ時に
「父親もそうするしかなっかたんだよね」って気持ちにはまだなれない自分がいることも感じています。
父親にエンパシーを向けてみてはまた一歩下がり
マグマのような怒りが再燃することがある、、、
心は揺れ動いています。

実はせっちゃんと個別セッションをした時に
「幸せを掴むには父親を赦すことが大切」と言われて
嫌だけど父親と向き合おうと思ったこと
そして父親の父親から続く負の連鎖を自分で断ち切りたいと
今でも思っています。

共感を学ぶキッカケとなったもの

Twitterでこたまさんのツイートを見て
心をグッと動かされたことが共感との出会いでした。

こたまさんのプロフィールにセッションの告知があったので話してみたくなってセッションに申し込み
そしてセッションを受ける中で「共感者講座ってなに?」
と興味を持ちました。

✔相手の気持ちを汲み取る事が苦手で、自分のことを伝えたいという思いに偏ってしまう自分
✔自己肯定感の低さからきている、わかってもらえないという思い
自分に欠けているのもがそこにあると感じました。

相手に主体性を渡しながら心に触れていく感覚を知らなかったしそれを知りたくなった。
言葉として想いを伝え、そして相手からも受け取ることができる
一方通行ではない双方向のコミュニケーションができると感じました。

それは自分にとって必要だと感じ共感者講座5期を受講しました。

共感を学んで変わったこと

今は話を聴いてくれる人がいる場所があることが安心につながっています。

そして変化を受け入れている部分と
変化をためらっている部分がある
ということも感じています。

変化をためらっている部分は父親との関係にあるのだということも。

共感を学ぶ前はシンパシーは知っていたけどエンパシーのことは良くはわかっていなかった
共感を学ぶうちに自分が欲しかったものはエンパシーなんだと気づきました。

発達障害のことは当事者でなければわからないと思っていたけれど
エンパシーこそが自分が欲しい共感なのだと

それに気づいたことによって
様々な人たちとの違いをあきらめずにいられる
自分の心の奥の願いに繋がり活動していくことができると感じています。

えいすけがこれから届けたいもの

人はみんな色んな理由で生きづらさを抱えています。
発達障害やうつなど、その当事者じゃないとわからないと思っていたけれど
今はその違いをあきらめたくないと思っています。
様々な苦労をして、受け入れてくれる人もいなかったという自分の経験から

そんな人をもう作りたくない
自分で最後にしたい
第2の自分は作らない!

みんなそれぞれ違いがある。
違いがあって良い。

当事者であり通訳

私は、すべての人たちが助け合いながら共に生きるための架け橋で在りたいと願っています。

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