『ここに在る命を生きる』
~ 凸凹に生きよう ~
生い立ち
今も残る幼少期の記憶
...何か変だ
なぜ我慢しなければならないんだろう
なぜ解ってもらえないんだろう
なぜ人が気にすることを気にしないんだろう
なぜ人が気にしないことを気にするんだろう
自分の気持ちに素直にいればいるほど
伝えようと解ってもらおうとすればするほど
その想いとは裏腹に相手との距離は開き溝が深くなっていく。
見えているのに届かない感じ。
埋めようのない隙間。違和感。
解ってもらえない。
素直な自分を出すと誰かが傷つき悲しむ。
なぜなのかわからない。
その姿を見て親から責められ我慢を強要される。
『そんなつもりじゃないのに、また傷つけてしまったんだ。何なんだこれは...。』
ずっと抱えてきた違和感と生き辛さ。
いつしか素直な気持ちを抑え、頭で相手のことを考えて伝えるようになっていた。
相手を傷つけずに済むし、頭で考えた行動だけど理解されることが嬉しかった...。
・・・そうするしかなかった。
(~中学編まで略)
陸上競技
高校時代、迷うことなく「陸上部」に入って「槍投げ」を選択すると決めていた。
決め手は、陸上は基本的にチームプレイじゃなく、「走る、跳ぶ、投げる」のみのシンプルなところ。
記録だけあればいい世界。自分の胆力が試される世界。
そして、なぜか「槍投げ」がめちゃくちゃカッコ良いって思って憧れていた。
そんな中で初めて出場した大会の結果
・・・ 最下位。
受け容れられなかった。
『これが現実なの? 何か違う。こんなんじゃない。』
せっかく楽しい居場所を見つけたのに全然楽しくない。
その後は必死だった。
努力は好きだった。
誰かを気にする必要がないし、自分の原動力に素直に行動すればするほど自分に結果が現れたから。
月日を重ね、2年前に最下位だった大会に出場し、最終投擲で逆転して1位になることができた。
『これだ!この感覚を求めていたんだ!これが私なんだ!』
素直さと結果が結びついた喜びの体験。
(ひょっとしたら「解って欲しい」気持ちを表現していたのかもしれない)
すると、考えもしなかったことが次々と起こった。
競技場や県内の強化合宿で、私の知らない人達が私を認知して話かけてくれる。私を理解しようとしてくれる。全くの別世界。
『こんな世界があったんだね。よくやったね。』
違和感と生き辛さを抱えて生きてきて、初めて自分で自分を褒めることが出来たし、自分を誇らしく感じることを味わった喜びの瞬間だった。
この感覚がいつまでも続いて欲しいと願った。
でも、高校3年からの本当に活き活きしていた時間はあっという間に終わり、競技から離れると再び素直さを出せない生活へと戻っていた。
欠落感
スポーツ推薦で大学へ行きたかったけど、それが叶わず高校を卒業し専門学校に入学した頃には、幼少期から感じていた
「なぜ我慢しなければならないんだろう」
「なぜ解ってもらえないんだろう」
「なぜ人が気にすることを気にしないんだろう」
「なぜ人が気にしないことを気にするんだろう」
この違和感が完全に元に戻り、違和感どころか「私には人に在るべきものがなく、何かが欠落しているんだ」と明確に自覚していた。
私自身そう感じていたし、親・近しい親戚・友人の親からも「おまえはちょっとおかしい」と度々言われていたから。
人を▢に例えるなら私は凹。でもそれが何なのかがかわからない。
感覚の違い。
解ってもらえない。
必死でその穴を埋めようとした。
頭で考えて人を理解しようとしても、相手からは理解されない。
陸上時代の活き活きした感覚を感じることのない日々で「私はそんなもんだな」と半分諦めていた。でも、誰かが言う「当たり前、そういうものだ、普通、常識、大人なんだから、男なんだから、長男なんだから」これらの言葉になぜか強く反発した。
私にはこの事態が飲み込めない。
こういう時は、体内からゴボッゴボッと地表を押すマグマのような圧力を感じる。
だけど、こうやって周りの人達と同じような人生を歩いていくのかな。
我慢すること、従うこと、風習に従うことを飲み込むことが大人になるってことで、そうしないと生きていけないのかな。
「私は不適合者」なんだろうなって思った。
『・・・ 』
『 ・・・ ・・ ん 』
『・・そんな訳ないじゃん!』
どこかから声が響いてきた。
心の奥底に抑えていた素直な自分、本当の自分が殻を突き破って顔を出してきた。
「違うよね、そんなもんじゃないよね」
「誰がそんなこと決めたの?」
「決められてしまう方がおかしい」
「なぜそのままの自分で生きることがままならないのか」
「なぜ枠にはめようとするのか」
「その生き方で自分に向き合ってるって言えるのか」
心の声に共鳴して『そうだ、そんな生き方は嫌だ!私は私なんだ!』って決意にも似た気持ちが溢れたのを覚えている。
(~就職編は略)
転機
仲間の死と後悔
友人から別の友人Aの噂を聞いた。
「Aが心を病んで仕事を休んでいるらしい。」
Aとは一緒に学んだ仲だしツーリングに2人で行く関係だった。
そう言えばここ何年も会っていないし、私も会いたかったから久しぶりに彼の元へと向かった。
Aは、昔と変わってなかったけど嬉しそうなのに元気はなく、迷っている様子だった。
他愛のないことは沢山話したけど、休んでいることについては詳しく話してくれなかった。
「何があったんだろう」
「何か出来る事はあるのかな」
「よっぽど嫌な事があったんだろうな」
でも何か引っかかる。質の違う違和感。
どうしよう。聞こうかな。でもな。
もし変な事を言ってしまったら、今のAは解ってくれるだろうか。。。
迷い。
...きっとそのうち話してくれるだろう。その時はしっかりと聞こう。
そう自分に言い聞かせ、その日は「じゃあ、またツーリングへ行こうな」って再開を約束して別れたけど、ずっと後ろめたさを感じていたことを覚えている。
ー 1か月後 ー
友人から連絡があった。
『冷静に聞いてくれ、Aが死んだ』
自死だった。
理解できなかったけど、血の気が引き頭が真っ白になった。
通夜へ行った。
冷たくなった彼の体の横で
まだ幼い彼の息子が
わからないながらも泣いていた。
息子にとっては偉大な父の突然の死
「もし、あの時に声をかけていたら結果は変わったんじゃないのか。。。」
「Aは本当は話したかったのかもしれない。私が真剣に向き合っていなかったのを見抜いて言えなかったんじゃないのか...」
「もっと本気でAに向き合っていたら...」
彼の近くへ、彼の顔の傍に行った時に
「何であの時に声をかけてくれなかったんだ」
「何で電話をしてくれなかったんだ」
「だけどさ、ありがとうな」
そんな声が聞こえてきた気がした。
決して取り返すことが出来ない破滅的な後悔。
結局相手に合わせた上辺だけの時間、他人事だったのかもしれない。
心のままに動けなかった。
自分を出すことで人を苦しめてしまうんじゃないかという迷い、躊躇。
結果、訪れる大きすぎる後悔。
彼の死は私に問いを遺してくれた。
私自身の命、今の生き方でいいのか。
自分の命を本当に使えているのか?
何のための我慢をしているんだ。
それでいいのかと疑問を持つとともに
迷った時は『やらないで後悔するより、やってから後悔しよう』
そう心に決めた。
産業カウンセラー
友人Aの死後、ずっと自分を責めていた。
時を同じくして私の職場では、メンタル不調で常に誰かが休職し、何人も退職する事態に陥り残った人に更なる疲労が重なるという悪循環だった。
私は、この悪循環に何とか歯止めをかけたいと強く思っていた。
それに、もしかしたらAの様に言いたい事も言えずに苦しんでいる人もいるんじゃないのかって。。。
このままじゃいけない
「自分に何か出来ることがあるんじゃないのか。」
何かに引かれている感覚があった。
この頃の私
自分の凹みがあって何かが欠落している感覚は相変わらずだけど、私から見える世界はハッキリしていた。
これだけ鮮明に見えているのに他の人達とは捉え方が違うってことは、『ひょっとしたらこれはスキルなんじゃないのか』って思い始めていた。
そんな時に偶然目にした「産業カウンセラー養成講座」の文字。
講座開始直前だったけど、問い合わせてみると残り1席の空きがあり、飛び込むように申し込んだ。
『私は、元々相手の気持ちを観て生きてきたし、そんな私なら人の話しを聞くことができる』って思っていた。
でも、その幻想は一瞬で崩れ去ることになる。
人の話しが全然聴けていない。
『聞くと聴くでは大違いだ!全然わからない!なんてところに飛び込んでしまったんだ!』と、いきなり崖から突き落とされた気分だった。
楽しみだった講座が苦痛に変わった。
でも、そんな苦痛も同期の仲間達と共有することができた。
今までになかった大きな違い。「体験に開かれる」
そして、「日常では出来ない話しを沢山したし、聴かせてもらった。」
オープンな気持ちを言う経験。自己開示の先にある自己共感。ずっと言えずにいたことも話すことができた。
『私は私。これが私です』
『やっと、本当に解ってもらえたんだ。』
気づくと涙が溢れる経験。そして相手から伝え返される言葉から『私が誰かの苦悩を軽減することの手助けになっている』という実感をもらった。
一方通行ではない、お互いにジョハリの窓を大きく広げていく経験を味わった。
本当に貴重な時間だった。
(同期の仲間とは今でも連絡を取っているし生涯の友だと思っている。)
自分では足りない、欠けていると思っていたけど、それがそもそもの自分であって他の人にはないオリジナルなんだって気付いた。そんな自分を認め、これから自己一致して生きて行こうと思う事が出来た。
(~親友編は略)
価値観と共感を知る
父を嫌っていた。
やって欲しいことをしてくれず、やって欲しくないことばかりする父。
癌の告知をされ、余命1年と言われていた父。
好き勝手をして生きてきた父。
母に迷惑ばかりかけてきた父をいつしか許せなくなっていて、病気は「自業自得」と思っていた。
口も利かずに、同居していたけど話しをするどころか見る事さえも避けていた。
同時期に受講していた産業カウンセラー養成講座で「価値観」を知った。
今となっては恥ずかしいの一言だけど、価値観ってものを全く知らずに生きてきたんだと気づいた。
知らないどころか、自分の価値観を人に押し付けてきていた事にも気づいた。
価値観を知ったことで、少しずつだけど
「父がなぜそうしてしまうのか」に意識を向けることが出来るようになっていた。
父に対しての初めての『共感』
きちんと話をしたのは何年ぶりだろう。
内容は覚えていないけど、全部じゃないけど父を許す事ができた。
それに、父からしたら私に対しても許せない気持ちがあったかもしれない。
その1年後、父は亡くなった。
あのまま父を嫌ったままだったとしたら...
あのままだったら、今、私は何を考えているのだろう...
父を許し、ある程度の話しも出来た。
『人から何と言われようと、父は自分の生き方を貫いていたんだね。』
あの関係性のまま送らなくて本当に良かった。
「私の父」として送ることができて本当に良かった。
このタイミングで偶然にも共感に出会えたことに感謝しかない。
父の葬儀を執り行うことに関しては、家族、親戚、色んな人から
「そういうもんだ」
「普通は」
「当り前」
「かわいそう」
と、葬儀について様々な意見があったけど、私は自分の価値観に沿って家族とよく話し合い、家族だけで見送る選択をした。
私は「例え風習だったとしても、物事は一方的に決めつけるんじゃなく、お互いが納得すること」を大事にしたかった。
深化
エンパシー協会との出会い
父の死後、産業カウンセラー試験に合格し、その後もカウンセリングを通して心理的苦悩を抱えている方への支援と並行して心理学や心理療法の講座を受講しながら学びを深めてはいた。だけど、知識的にスキルとしては吸収して他の受講生のように満足しているけど、私が感じるのは満足と共にあるのはやっぱり不足感。
そう、この不足感自体は受け入れる事が出来ているけど、ここでも出て来る幼少期から続く凹の感覚。
説明のしようがない解ってもらえなさ。
...私には何となく感じていた感覚があった。
この感覚のもっと奥深くに根源的な何かが在るんじゃないかってずっと思っていた。
私の奥にいる私が、私に伝えようとしてくる声のような響いてくる感覚。
きっと、私のような人間がその声を聴くには、言い難いことでも思ったままに、感じたままに言えること、否定されずに受け止められる経験が必要なんだと確信していた。
そんな場を
そのままの自分を表現できる場を
『自分で創ろう』
もう何かの講座を受講するのはやめて、手探りでも『自分でこの世界観を拡げていこう』と決意した。
そんな頃に、あるtweetが目に入ってきた。
『エンパシー協会を立ち上げ、協会の認定講師として共に活動してくれる人を募集しています。説明会をしますので...』
エンパシー協会?
共感者講座?
一体何それ?
怪しい団体?
エンパシーは認知的共感だよね、共感は既に学んだし何かまだ学ぶ事なんてあるかな。
でも何か引っかかる。
せっちゃん?聞いた事があるぞ...
あ~、思い出した!何か深いtweet書いている人だ!
無料だっていうし、聞くだけ聞こうと思って説明会に参加することにした。
説明された内容は半分くらいしか覚えていないけど、協会を立ち上げてやろうとしていること、拡げていこうとしていることに深い感銘を覚えた。
『そうだ。これは私一人でもやろうとしていたことと同じじゃないか。一人でやるよりも、これは加速度的に拡げていけるかもしれない!!』
ギギギギ...と心の門が開いた感じがした。
エンパシーとシンパシー、自己共感...
一言で言うと『もっと早く受けたかった』
(~講座の受講編は略)
凹な私、実は凸×2だった
幼少期から感じていた不足感、欠乏感
凹が私のカタチ。
人には在るけれど私には埋めようのない部分。
ハッキリわかるけど、それが何なのかはわからないし理解できない。
これは今も同じ。
だけど、今は、それで佳いんだとつくづく実感している。
思い返せば気づくことがある。
高校時代に全てをかけていた陸上は、自分に素直に向き合える時間をつくってくれたし、その時間が好きだった。
でも、なぜ入学前から『槍投げ』を選択すると決めていたのか。
今ならわかる...
自分がゴールまで走るのでもなく
自分が高く遠くへ跳ぶのでもなく
自分が何かに影響を及ぼすこと
自分の全部が槍に作用し遠くまで飛ばす関係性
そして、『その軌跡は自分でも観れるし人からも見てもらえる』ところに惹かれたんだと思う。
一人でいいと思っていたけど、自己表現することで創られる関係性。
一人でやろうと思っていたけど、同じ方向や自分では気づかない視点に気づかせてくれる仲間の心強さ、有難さがお互いの燃料になる。
エンパシー協会内で響いた言葉
『無いんじゃなくて、在るんだよね』
『カタチのカタチ』
『在り方』
腑に落ちるとともに雷に打たれた気分だった。全身にズドンと強烈な電気が走った。
あああ、、、ずっと無いと思っていて無い部分だけを見ていた。
人の凸が羨ましかったけど
凹は、ちょっと見方を変えれば2つも出っ張ってるじゃないか。
確かに私には、人が持っているものはないけれど
私には、人が持っていないものが確かに在るんだ
凸を2つくっつけたのが私のカタチだったんだ。
『○○でなければならない』なんてことは全くない。
パズルのピースのように、同じピースはなく
それぞれが違っていて、その関係性が世界を創っているんだって。
本当の意味で自分のこのいびつな形が尊く
自分自身に『一緒に在ってくれてありがとう』と感謝の気持ちが溢れた。
多様性について
改めてわかったことがある。
『多様性』って言葉がしっくりくるし、好きなんだなってこと。
人それぞれがパズルのピースのように、違っていることを前提にして世界を捉えると、むしろ「○○でなければならない」という多様性を受け容れることが出来ない方に違和感がある。
ピースはそのままのカタチでパチッとはまる場所があるはずのもの。
どう扱っていいか解らないといって空いている場所に押し込むようなことはしない。
もし、それをやったとしたら
遠くから見るならわかり難いけど、近づけば近づくほど「一見はまっている様に見える」けど、ギクシャクした一体化のないパズルになってしまう。
なぜそもそも在るのに
多様性が受け容れられないのだろう...
私は「対象を理解しようとする意識が持てていなかったこと」なんだと思う。
今形成されている集団の中ならそこに敢えて理解を生む必要はなく、今まで営んでこれた経験がある。
だから新しい存在は、理解するのではなく今までのやり方に合わせるのが当然。逆に、今在るものを乱されると思った時には「恐れ」「不安」が生まれ、今在るものを守るため、維持するために不都合な存在を排除しようとする傾向があったかもしれない。
でも、自分の生まれた家族、地域、文化の流れの中では、自分や少数派の個性、声、価値観等を出す事が「よくないこと」にされていなのかもしれない。
その関係性の中にいたら、自分自身に「これでいいんだ」と言い聞かせ、そうしないと「生きていくことが出来なかった」人が沢山いるんだと思う。
「...そうするしかなかった。」
ここに、生きるための信念が生まれる。
「私がやってきたんだからあなたも...」
「そうすることが当然...」
この流れが多様性を認め難くしていることに少なからず影響しているんじゃないか。
パーソンズの有名な「丸い釘は丸い穴へ」という言葉があります。
でも私は「丸に見えていた釘」なんだと思う。
丸い釘を丸じゃない穴に入れるのは不自然で窮屈なのはもちろん
丸に見えているものが本当に丸なのか
本当に釘なのかと確かめることが理解に繋がる。
人生の歩みを進めるとき
人は、誰かの道案内で自分が行きたい場所へ行けるなんてことはなく、自分が求め、自分が探して辿り着くもの。
だからこそ人それぞれが違った道を進むし、道中で出会う人、共に歩む人、目的達成のために協力する人、生活を共にする人達との出会いがある。
どれも相手を理解していないと成り立たない。
つまり
『お互いの存在を、価値観を理解していることが必要で、これを多様性と言うんだと思う。』
でも、まだ多様性という言葉だけが独り歩きしている感じがしている。
「多様性への理解」と言えば聞こえがいいから、頭では理解しているけど本当に受け容れる準備が出来ていない、特に集団になると多様性を実態として触れ、受け容れる器になっていないのかもしれない。
だって
1+9=○が正しくて
○+△=▢+○でも良いって教育じゃなかったのだから。
特定のもの以外を受け容れることは、自分の培ったものを打ち消すような変化への怖さがあるのかもしれない。
多様性は、言葉だけの単体としての理解じゃなく
それぞれの価値観を取り入れた一体化、インクルージョンの浸透とセットになった新たな文化が必要なんだと感じる。
それが何事にも柔軟に対応できる大きなカタチ。
パズルはカタチを変えることはできないけど
人は、その関係性を変化させることが出来るのだから
皆、本当は自分の価値観を受け容れてもらいたいのだから
ここに妥協する必要なんてない。
(~退職編は略)
自分を生きる
命の衝動
自分を生きるとは、自分の奥深くから、
価値観のもっと奥、信念、背景があって
この一体感をもったまま、心から湧き上がってくる願いを表現すること。
それは、『命の衝動』なんだと思う。
命の衝動を表現したい。伝えたい。言いたい。
だけど、こんなことはとても言えない・・・
言ったらどうなってしまうんだろう
もし、受け止めてもらえなかったら
評価、批判、否定されてしまったら...
日常の中で湧き上がる「伝えたい衝動」
でも、この想いを伝えるための勇気がなかなか出ない。色々な感情が入り交じり葛藤する。
この葛藤を乗り越えた心からの勇気の行動。
なぜその行動に至ったのかの「動機」や「起点」に意識を向けられ、そして受け容れられたときに、心は歓喜し更なる勇気が湧いてくるんじゃないか。
そんな期待を持ちつつも、勇気の行動が受け容れられなかったら、勇気が挫かれたら・・・想像しただけでゾッとする。
きっと、外側へ出そうとしていた心の矢印は内面に向きを変え、心の中に閉じ籠ってしまうんじゃないか。
もし、自分の大切にしている価値観に沿ったままの想いを口に出せたなら、思ったまま表現をすることが出来たなら...
もし、誰かから否定や批判されずに素直に生きる事が出来たなら...
もし、妥協や取引じゃなく、分かち合うことが出来たなら...
本当の意味での自分を生きれるんじゃないのか。
与えられた命を全うすることが出来るんじゃないのか。
こんな生き方が、活き方が本当は在るんじゃないのか。
自分の奥底にある表現したい自分
ここに自分としての『在り方』が音のように鳴り響いている
この自分と一致した自分こそが
本当の意味での『自己一致』なんだと思う。
ここに在る命を生きる
私が思う『ここに在る命を生きる』とは
命の衝動の表現
『自分の在り方に沿って命を使う』こと。
つまり、それが『使命』なんだって結論に至る。
自分の使命は何なのか、使命を探すとかって聞いたりするけど
本当は、自分を生きていることが使命そのものなんだってことに気づいた。
今を生きている『命』がここに在る。
だから、自分の生い立ちを含め
過去の自分の生き様と選択は『全てベスト』
亡くした命
取り返しのつかない後悔もあると思う。
でもね、それは全て
「そこに在った命は全うされたんだ」
こう考えて欲しい
無くなったんじゃなくて
そこに在った命と自分の命との関係性に基づいた『願いが在る』ということ。
もし、その命に対して「もっと別の生き方があったかもしれない」と思うのならば、自分に出来るのは『自分の命をどう使うか』だ。
【 エンパシー協会の理念 】
一人ひとりが自分の大切な価値観を明るみに出せる社会を、共感によって創る。
共感が拡がった世界は、『命の衝動が挫かれない世界』なんだと私は思う。
そこに在るのは
上も下も、強い弱いも、良い悪いもなく、人それぞれが尊い願いをもった存在なんだっていうこと。
その願いは連鎖する。
自分の正当性を攻撃的に主張する必要はなく
想いのままを伝えられる。
なぜその願いを表現したいのか
共に感じよう。
私の願いは
『誰もが 今の自分自身を 胸を張って 堂々と 生きて欲しい。』
人は人、私は私。
私はここに在る命を生きる。
そして共にカタチを重ねて生きよう。
お読みいただき、ありがとうございました。
一般財団法人 日本エンパシー協会
認定講師 オダギリ
自己紹介
略歴
・1975年生まれ 祖父・祖母・父・母・妹の6人家族で育つ
・周囲との違和感と自分の欠損感を常に感じつつ成長
・高校陸上 槍投げ 地区大会優勝 県大会3位 ブロック大会9位
・1993年10月 某日 士業先試験 不合格
・1995年 4月 1日 士業先に就職
~ 以降現在は、士業と共に兼業で産業カウンセラーとして活動中(現在は産業組織よりも主に個人の苦悩の軽減支援にカウンセリングで関わらせていただいています。)
・2019年 3月11日 士業専門大学 専門課程で優秀賞を受賞
・2021年 9月 1日 一般社団法人 日本エンパシー協会発足(以下、「協会」と表記。)
・2021年10月 1日 協会認定講師 育成講座受講開始
・2022年 3月25日 協会認定講師 育成講座受講修了
・2022年 4月19日 協会認定講師 認定試験合格
〇今後のスケジュール
・2023年 3月31日 士業退職予定
・2023年 4月 1日 協会認定講師、カウンセラー業の2本柱で活動開始予定
お知らせ
ー Twitter ー
🌏日本エンパシー協会 #認定講師 #共感者 |産業カウンセラー👂『心理的苦悩・不安・恐怖・生き辛さ』からの自己脱却支援🌿『自分を生きる』ための支援🌿|『私は私で良いんだ』と感じれる安心安全の場コミュニティーをオンライン開催しています🤝|カウンセリング、エンパシーセッションのご依頼はDMから📩
🌿 お願い 🌿
カウンセリングは特別なものではありません。心の整体です。苦悩の最中だけじゃなく、何か調子悪いな~って思った時や今の自分を確認したいなって思った時がベストです。
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