左腕が痛い(Jun/16/2024)
画像は先日退役した先代ラップトップ(Envy X 360)くんです。
まさかヒンジが壊れるとは思わんやん
ここ数日でいよいよ暑さ(正確には湿度)に耐えられなくなりエアコンを導入しました。すると左腕が痛むのです。
これは今に始まったことではなく、昔から似たような症状で苦しんでいます。昔に手首を捻挫したことがあって、冷房を入れたり真冬になったりと冷やすとその古傷が痛むのです。
心身のどこかに不調があると途端に何もする気がなくなってしまいます。今も痛い。うぅ
最近、無知であることの罪、みたいなことを考えている。
今のSNSでは無知であることは恥である、とされる。その割には反知性的な部分があるのはなんとなく気持ち悪い点ではあるがまぁとにかくそうである。
例えば、自分は「髪の毛の中から自分の手で毛束を作ってねじることでエアリーなイメージを髪型に付与することが出来る」と言うことを誰かから聞いたり習ったりした覚えはない。一時期街を行く人たちの髪形を観察していて「そのようなことをあいつはしているのかもしれない」と考えたことはあったがそれはかなりマイナーな行動と思考であり自分と同じような境遇の人間の多くはそんなことをしないだろうと思う。
だからこそ短絡的な思考の接続が起きて、結果として晒し上げられる。
あれほど不幸な事故は無いと思う。なぜ、自分の知らない分野について考え、自説を披露しただけで叩かれなければならないのか。無知であることがそこまであなたを不快にさせるのか。まぁ学マスやってないから細かいところは何も知らないんだけど
無知は罪か、という問いは真であると思う。
ただし知識を得ることはその罪を雪ぐことではなく、生まれてから知識を得るまでの瞬間まで背負っていた罪を死までの一生をかけて償う罰であると思う。
世界を生きていくうえで最低限以上の解像度は不要である。デジタル画像があったとして1500*1500くらいのサイズであればほとんど支障なく細部まで把握可能である。それを超える解像度は見なくてもいい情報を鮮明に映し出し、毛穴を見せ、生成のためのマシンスペックなり料金なりを引き上げる。動画であっても24fpsを超えた映像はその迫力を喪失し、映画のような作品からゲーム画面のような情報の羅列に成り下がる。
世界の解像度を必要以上に上げることはほとんどの人にとって耐えられない苦痛を与える行為なのではないかと感じる。しかし、アカデミックやアート、メカニックなどさまざまな分野で世界の解像度を上げるための様々な取り組みが行われている。
解像度が上がる恐怖。それを克服できた人間こそが超人と呼ばれるものなのではないか、とも思う。ニーチェの著作も100分de名著も読んだこと無いけど。