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もうとっくに、悪魔。(19/May/2024)
塾で高校3年生に英語を教えています。
おせじにも成績がいいとは言えない学生です。現在行っているのは中学生レベルの英語の教材です。それでも正解率は悪く、自分に厳しく言われながらなんとかついてきてくれています。
自分はありがたいことに学校の勉強にいくらかの適性がありました。机に長時間座って先生の話を面白いと思いながら聞くことが出来たし、進研ゼミを6年間続けるとともに塾に通って勉強時間を確保することも出来ました。
そんな自分が教えている彼は、傍から見ていたら真面目な学生です。授業中に寝てしまうことも無いし、宿題をしないなど勉強を放棄することもありません。
彼に勉強を教えているのは、彼を大学に行かせるためです。
大学の進学が本人の希望なのかは知りません。しかし、教室長に「大学入試に英語外部試験を使うのでそれに堪えられるように」と言われました。
自分もそのつもりで教えていますが、このペースだといつ、これレベルに到達するのかは分かりません。
それでも、教えなければなりません。仮に大学進学が彼の意思と関係なかったとしても、彼の成績が全く間に合わなかったとしても教えなければならいません。それで私はお金をもらっているからです。
よく学習塾は大学進学に対する経済格差を助長していると言われることがあります。しなくてもいい指導でお金を巻き上げているとも言われます。
その通りだと思います。そして自分はバイト代というはした金欲しさにその構造に加担しています。
人の不安は貴重なビジネスチャンスです。やり方次第では無尽蔵に不安になり、その解決にどれだけでも金を出してくれるからです。それが行き過ぎた場合そこに残るのは怨恨と殺意だということは少し前のニュースが示してくれました。
命の話は言い過ぎかもしれませんがそれでも不安に対するビジネスには利己的な搾取があると思っています。それが最も基本的で無垢な資本主義の原理であるのかもしれませんがそれを気持ち悪いという感覚がずっと残っています。
気持ち悪いと思いながらその原理に相乗りしている時点で、晴れない矛盾に対してある種開き直っている。
自分の感情に蓋をして功利に走る。自分が最も嫌う姿を自分で体現しているのです!
このような矛盾を自分が抱えている事実に耐えられない。人は矛盾の生き物だと頭では理解していても腹の内では理解できない。
いったん辛くなるとそのようなことばかりを考えてしまう。良くない。良くない。