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ぎぎぎ逆張りじゃねぇ~しぃ!!?!?!?(Jul/21/2024)

 逆張り、と呼ばれる現象がこの世にはあります。
 世間の潮流に逆らう、と言った意味で使われ、文脈としては揶揄か自虐でしか見られない。
 かく言う自分も逆張り気質の塊である。流行りのアニメは見ないし他人がやっているソシャゲも話を聞くだけで特に始めることは無い。そもそも人間と関わることが苦手だとか言っているのもある種の逆張りだろう。

 最近、この逆張りについて少しずつ自分の中で新しい見方が出来るのではないかと考えが改まってきた。備忘録も兼ねて今日はここに残しておく。

 最近、逆張りを「人生の伏線」と勝手に呼び始めている。
 逆張りは最低条件として「それを知っている」ことが求められる。たとえ流行りものであったとしてもある程度アンテナを張っていないとその情報は入ってこない。情報を断ち切ることでそもそも認知しないことを選ぶことも人生では可能であるため、知っているという状態そのものは逆張りの中でもまだどうにかなる領域である。

 そして、その「知っている」という状態を保持したまま生きていけばいいのである。無理して知っているからとアニメを見なくてもいいし配信を追わなくても現場に行かなくてもいい。知っているという状態になっただけで上出来である。
 ただ、その内どこかの瞬間でそこで逆張りしたコンテンツが歩み寄ってくるタイミングがある。自分の中に受け入れる準備ができていて、そしてコンテンツの側も新しい人物を受け入れる準備が出来ている、そんなタイミングが来るときには来る。

 その瞬間に乗り遅れずに飛び込むのである。既に存在は知っている。逆張りもし尽くした。その瞬間を逃さずに飛び込む。そうするとびっくりするほど自分に馴染む、そう感じることが多いのである。

 最近、自分は『gogh』と呼ばれるアプリを始めた。アバターと部屋作りを出来るアプリであるがそのメイン機能はポモドーロタイマーである。
 ポモドーロタイマーはポモドーロ法という作業ルーティンを行うためのタイマーである。25分と5分を連続して流し続けるこのタイマーに従って作業と小休止を進めることで効率的に作業を進められる、というものである。

 自分は数年前からこのような作業法があることを知っていた。自分の知っている人でそれを実践して成果を上げている人もいた。それでも、自分には何か違うと思って触っていなかった。逆張りをしていたのである。
 しかし、自分の周りでgoghが流行った。可愛らしいアバターをメイキング出来ることが話題になっていた。今だ、と思ってダウンロードした。

 結論から言うと、自分に合っていた。ポモドーロ法を使うことでかなり散漫だった自分の集中力が良い感じに続くようになっていた。退屈な作業も細かくシステム的に訪れる小休止で退屈しきることなく続く。こりゃいいものだと云々……

 逆張りとは、そのものを知っていることに外ならない。この件も、自分がポモドーロと言うものを知っていたからこそgoghに対して迅速に反応することが出来たのである。数年前に始めてポモドーロという言葉に触れた自分は数年後の自分に対して伏線を張っていたということになるのだ!

 これこそが自分が考える「人生の伏線」論である。これが正しいのであるとするなら、逆張りであっても順張りであっても、その人生は自虐や揶揄に値せず、素晴らしいものだと感じられるようにならないだろうか?

 最近、自分は「人間は最終的に収まるべきところに収まる」というある種運命論的な考えを支持している。今回の逆張りもある種自分にとって「そうあるべき」タイミングでコンテンツが入り込んでくるのである。

 以上、自分の正当化おわり!運命論に関してはもう少し自分のなかで勉強したいかも。何かいい感じの本などないだろうか?


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