今もなお生きている青春弓道
お盆だろうが、お正月だろうが的に向かい続けた青春の日々
これを書こうと思ったきっかけ
高校時代の友達に会うたび、必ずといっていいほど話題になるのが弓道部での思い出です。ほぼ毎日活動していたこと、トレーニングとしてペットボトルを2本持って走っていた姿などその話は毎度擦られています。自分の中でも、部活動で過ごした時間が私の青春の8割から9割を占めていると感じます。つい最近、同窓会に参加した際もやはり弓道部の話題が出てきました。そんな私も夏になると毎年、あの時のことを思い出してしまいます。懐かしさを感じると同時に、弓道での経験がなければ今の自分は絶対になかったと振り返ります。こうしたことが積もり積もって、今回弓道に関する思い出を記事として書くことにしました。
弓道について
弓道という名前を知っているけれどもルールがよくわからないという方のために弓道について簡単に説明します。弓道は 28 m 先の的に向かって矢を放ち的中を目指す武道です。アーチェリーと違うのは矢が的の中心に中っても端に中っても得点は同じという点です。また、照準やスタビライザーなどのアクセサリーを弓につけることは禁止されている点も異なる点です。これにより、参加者全員強制無課金おじさんとなります。
入部
私が初めて弓道に触れたのは高校生の時です。中学生の頃の私は文化部に所属し、友達は人間ではなく、プレイステーションとニコニコ動画のインドア派オタクでした。そんな私が弓道部に入ったのは、先輩たちが弓を引く姿に魅了されたからです。弓道について予備知識はまったくなく、この学校の弓道部がインターハイや国民体育大会の常連校であることも、後になってから知りました。
部活での生活
弓道部の生活を一言で言えば、3億円積まれてもタイムスリップしたくないと断言できるほど厳しいものでした。土日やお盆、お正月でさえも休みなく道場に通い、ひたすら弓を引き続ける日々。形式的にはお盆休みがあったものの、実際には練習が行われていました。先輩たちから理由もわからず怒られたり、常にピリピリとした空気が漂っていたり、肌荒れが止まらないほどのストレスを常に感じていました。また、どれだけ練習しても的中率が伸びず悩み、それが行射にも伝わり、コーチの先生や顧問からも厳しく指摘され続けていたことも悩みになっていた時もありました。
この弓道部は完全な実力主義で、的中率が高ければ1年生でも試合に出場できる一方で、3年生であっても的中率が低ければ出られませんでした。先輩から聞いた話では、過去には一度も試合に出ることができずに引退してしまった人もいたそうです。夏の炎天下の中でのランニングや、夏休みの合宿、毎月のように行われる練習試合や大会に向けて、朝早くから練習する日々。他の生徒や先生たちからも、その多忙さは有名でした。
決意の日
やっぱり他の部活に転部しようかと入部からしばらく考えていたのですが、ある日転機が訪れます。
厳しい暑さと練習に耐えていた1年生の夏、インターハイに出場し優勝した先輩たちの姿を中継で目にしてから、私もインターハイの射場に立ちたいと思うようになりました。インターハイ出場には県大会で優勝する必要があります。それは決して簡単なことではなく参加する何十校のライバルたちを倒さなくてはなりません。
それからというもの、さまざまな大会や練習を通して地区の大会では個人でも優勝し、これならいけるかも知れないと自信をつけていきました。しかし、2年生の初夏に行われた県大会では、大会の厳かな空気に負け全く矢が当たらず、インターハイ出場を逃してしまいました。この経験から、以降の練習では「大会の空気に飲まれない心持ちを持つこと」を基本方針に据えました。
決勝
その後の一年間、どれほど弓を引いたか覚えていません。ただ、どんな日であっても的に向かっていたということは確かです。かつての私に足りなかったのは、完璧にできなかった時にどう巻き返すのかというリカバリーについてを考えることでした。そのため、練習中だけでなく試合等でも、前半に矢を外してしまった時でも後半でどう巻き返すのかを考えていました。
そして迎えた3年生の初夏、運命の県大会が開催。予選ではチームで20 射中 15 中以上的中させ、その後の決勝をかけた射詰めにも勝利し、決勝戦は勝ち残ったチーム同士で総当たり戦でした。総当たり戦では相手よりも先に矢を当て、相手チームにプレッシャーを与えつつ自分たちの的中の波をつくりました。その後も相手チームよりも先に的中させ、その勢いでリードを取り続け、最終的に優勝を果たしました。
優勝が決まり控え室に行った時、普段は厳しいコーチの先生が涙を流していたのを、今でも昨日のことのように覚えています。
インターハイ
8月、私たちはインターハイの会場に到着しました。今回は団体戦での出場で私はそのチームのメンバーでした。いつも試合で使っていた道場とは異なるアリーナの特設射場に、胸が躍ると同時に、他の大会では味わえないような、胃が突き刺されるような緊張感を感じ取っていました。アリーナ特有の室内に響く的中音や、特設射場の明るい床の光景は、今でも鮮明に覚えています。
結果としては予選止まりでしたが、会場で引いた4射は、おそらく生涯忘れることのない特別なものとなりました。
大学弓道
大学でも弓道を続けましたが、入部当初の弓道部はあまり活発ではなく、さらにコロナ禍が活動に大きな影響を与えました。そんな中先輩たちの投票により私は主将に選ばれました。このような状況ではありましたが、練習が可能になると道場に集まり、弓を引いて、細々となんとか活動を継続させていました。部内で団体を組んで立ちを組んだり、行射について悩んでいるメンバーに対してアドバイスしたりと限られた範囲ではあるものの充実していた部活になったと感じています。
それから1年後、幸運なことに熱心な後輩たちが入部しました。彼らの代から部活のSNS運用や他校との交流が活発になり、それを見るたびにとても嬉しく思っています。
思い出の品
同窓会に出席するために帰省した際、実家の倉庫を整理していると、高校時代に使っていた弓道の道具が見つかりました。
弽(かけ)
弽は弓を引く際に右手につける弦を引っ掛けるための道具です。高校生の頃に購入し、大学生の時まで使い続けた弽は、弦の引っかけ部分には何万回も「離れ」を繰り返した跡や滑り止めの粉を振りかけた跡が残っています。その傷跡ひとつひとつが、青春の日々を思い出させてくれます。弽は使用し続けると皮に穴が空いて交換しなければならないのですが、あの練習の日々を経てもなお破れることなく残っていることが不思議です。
弓道ノート
弓道ノートには、その日の的中や部活中に指導された指摘事項を記録していました。初めて皆中して喜んだ日、外れた矢所を書き記してその癖を治すために射込んだ日曜日、絶対勝ってやると意気込んで意気消沈した試合後の夕方、懐かしい思い出と数年ぶりの再会です。
インターハイでの的中も、しっかりと記録として残っていて、その下には堂々とした大きな文字で「ありがとう高校弓道!」という一言が書かれていました。これは、足掛け3年の長い戦いに終止符を打った当時の自分に向けた言葉です。
こちらこそありがとう
弓道教本
弓道教本は、所作の基本や弓を引くための基本ルールである射法八節について何度も読み返したもので、特に昇段試験前には座学テストに備えて繰り返し読み込みました。射法八節はこの本以外にも道場の壁にも貼られており、射法八節のページを開いた時に、それまで立ってきた道場の射場を一気に思い出しました。その思い出たちは、それだけ多くの時間を弓道と過ごした生きた証です。
これらの品々を手に取ることで、過去の思い出が一気に蘇り、当時の自分と向き合うことができました。
弓道が自分の人生に与えた影響
弓道での経験は私に多大な影響を与え、今の社会人生活でも糧になっています。
一番仕事に直結していると思っているスキルは、何を優先すべきかの判断力です。仕事では常に幾つかのタスクを背負っている状態になっています。そうなってくると、課題なってくるのが何を最優先にするべきなのか問題が発生します。そうした問題に忙しかった弓道部時代に身についた順位付け判断力が功を奏しました。
ほかにも、行動しなければ損だという考えも持つようになったり、今までの自分を肯定できるようになったりもしました。これらのおかげで、就職活動が長引いても諦めず、自分でも納得のいく結果を得られました。今、こうしてこの記事を書いているのも、弓道で得た「行動することの大切さ」の表れです。
今後も人生の糧として私の青春が生きているでしょう。
最後に
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