日本語のトーン表記法を紹介します(関西方言編)
この記事では、関西方言のトーン表記の方法を紹介します。まず現在一般的に通用している説を紹介し、次に私の説を紹介します。この記事で紹介する私の説は、私が考案し今でも改訂作業を続けている、関西方言専用のローマ字表記法「関西ローマ字」で採用されているものです。
関西ローマ字については以下のページをご覧いただくか、私( twitter.com/awesomenewways または maroon_02_flory@icloud.com )にお問合せください。
この記事ではおもに京都方言を扱いますが、いわゆる京阪式アクセントの多くの方言にこの記事の内容が当てはまると考えています。記事内では、特に区別したい場合を除き単に「関西方言」と呼ぶことにします。
なお、先に次の「日本語のトーン表記法を紹介します」の記事を読んでいただくと、本記事もよりわかりやすくなると思います。
通説の場合
『日本語アクセント入門』によると、関西方言は「式と核」を区別する体系です。後で詳述しますが、「核」は「どこで次が「低く」なるか」を表し、「式」とは、「核に至るまでのピッチがどうなるか」を表します。以下の表は、同書の109ページに掲載されている名詞のアクセント体系を示した表を再構成したものです。開きブラケットは直後の拍が「高い」ことを、閉じブラケットは直後の拍が「低い」ことを示します。
この記事では開きブラケットのことを「上げブラケット」、閉じブラケットのことを「下げブラケット」と呼ぶこともあります。また、一般に、「下がり目」といえば、この記事では下げブラケットで表現されている、核とその直後の「低い」拍の間に位置する拍同士の境界を指します。
表 1
高起式:
A. [コ]スモスガ
B. [キミ]タチガ
C. [アヤベ]シガ
D. [アメリカガ
低起式:
E. タ[チ]バナガ
F. サン[サ]ロガ
G. オハナシ[ガ
(語彙とそのアクセントの記述は『日本語アクセント入門』p. 109 による)
高起式と低起式は、語頭の高さの違いによるものとするのが一般的です。たとえば、「橘が」と「君たちが」は、下り目の位置は同じですが、語頭の拍を見ると、「君たちが」では初めから高いのに対して、「橘が」ではタが低く、チから高くなることになっています。この違いを、高起式と低起式の型の特徴の違いと見るのが一般的です。
このように、関西方言のアクセントは、東京方言にも見られるような「核」または「下り目」とに加えて、語頭のピッチの高低を弁別する体系であると言われています。
関西ローマ字における分析
ところで、表 1 を見て何か違和感を感じないでしょうか? 理想的な世界では、以下のような体系になっているはずです。
表 2
高起式:
1. [コ]スモスガ
2. [キミ]タチガ
3. [アヤベ]シガ
4. [◯◯◯◯]ガ
5. [アメリカガ]
低起式:
6. タ[チ]バナガ
7. サン[サ]ロガ
8. ◯◯◯[◯]ガ
9. オハナシ[ガ]
これと比べてみると、表 1 では高起式について語末に下げブラケットがある 4 の型と、低起式について同じく 8 の型が欠けていることがわかります。
実は、この「欠け」は分析方法の恣意によって生じるもので、基準となる付属語(助詞と助動詞を区別せずに呼ぶ言い方です)の選択を変えれば生じなくなります。京都方言には、付属語に「順接の付属語」と言われるものと「低接の付属語」と言われるものがあり、通説では、順接の付属語を基準にして名詞のアクセントを分析しています。これを低接の付属語を基準にして分析し直すと、京都方言のアクセント体系は以下のようになります。低接の付属語の例としては「も」を使っています。
表 3
高起式:
i. [コ]スモスモ
ii. [キミ]タチモ
iii. [アヤベ]シモ
iv. [アメリカ]モ
低起式:
v. タ[チ]バナモ
vi. サン[サ]ロモ
vii. オハナ[シ]モ
明らかなように、付属語「も」はどの場合においてもブラケットを宙に浮かせることなく取り外すことができます。従って、表 3 は以下のようにさらにシンプルに書き換えることができます。
表 4
高起式:
I. [コ]スモス
II. [キミ]タチ
III. [アヤベ]シ
IV. [アメリカ]
低起式:
V. タ[チ]バナ
VI. サン[サ]ロ
VII. オハナ[シ]
付属語を削除した分、拍数が少なくなりましたが、表 2 に示した「理想的な世界」おける体系とまったく同じ法則が成り立っていることがわかります。従来の分析とは違い、付属語を切り離し、残った名詞のみの形を隙間なく体系的に表現することができています。順接ではなく低接の付属語を基準にすると、このように隙間のないより規則的な体系が見出されるということをまず確認してください。
今回は通説的な分析の不備を指摘することから考察を始めたので、表 1 から表 4 はピッチの表記も従来と同様、段階的な高さを表すものになっています。関西ローマ字では、このような従来の「核」または「下り目」を使った解釈ではなく、教育ローマ字と同様、拍の内部のピッチの変化に注目して解釈します。
東京方言と関西方言の違いのひとつは、関西方言では nF に2種類あることです。東京方言では、適当な区間を単位として、その内部でどこまでが nF で、どこからが F なのかを記述すれば十分ですが、関西方言では、nF の区間に曲線声調が2種類あります。一つは低起式の nF 区間に見られるもので、ピッチ曲線を見るとなだらかな上昇曲線になっています。もう一つは、高起式の nF 区間に見られるもので、こちらは徐々に下降する曲線を描きます。
したがって、関西ローマ字では、低起式に見られる nF トーンを R, 高起式に見られる nF トーンを nR と呼び両者を区別します。これらの記号は一つ一つが拍を表します。たとえば、4拍の言葉の曲線声調を表すためには、これらの記号を四つ並べて書くことになります。
R, nR, F の3つの記号を使い、先ほどの名詞体系を書き直すと以下のようになります。
表 5
高起式:
い. nR FFF コスモス
ろ. nRnR FF キミタチ
は. nRnRnR F アヤベシ
に. nRnRnRnR アメリカ
低起式:
ほ. RR FF タチバナ
へ. RRR F サンサロ
と. RRRR オハナシ
東京方言の場合と同様、関西方言の単語のトーン表記にも「どこまでが nF」を示す記号が必要です。東京方言の場合は名詞の nF 指定が助詞にまで及ぶことがあるため、記号は拍境界に挿入し、「次の拍までが nF」と読む必要がありました。関西方言の場合、名詞による nF 指定が助詞にまで及ぶことはないため、記号は拍の上に乗せて、「ここまでが nF」と読めば良いことになります。従って、表 5 の体系は次のように書き直すことができます。
表 6
高起式:
ア. kōsumosu コスモス
イ. kımītatı 君たち
ウ. ayabēsı 綾部市
エ. amerıkā アメリカ
低起式:
オ. tatíbana 橘
カ. sannsáro 三叉路
キ. ohanasí お話
母音の上に乗せるアクセント記号が nF 区間の終端を表し、アクセント記号の違いが曲線声調の違いを表します。母音 a を例にとると、á が R, ā が nR です。
順接の付属語と低接の付属語
低接の付属語は単にアクセント情報を空としておけば、以下のように正しいピッチ形を直接導くことができます。
表 7
高起式:
一. kōsumosu mo コスモスも nR FFFF
二. kımītatı mo 君たちも nRnR FFF
三. ayabēsı mo 綾部市も nRnRnR FF
四. amerıkā mo アメリカも nRnRnRnR F
低起式:
五. tatíbana mo 橘も RR FFF
六. sannsáro mo 三叉路も RRR FF
七. ohanasí mo お話も RRRR F
一方、順接の付属語には、直前の拍の曲線声調を継承するという性質があります。このことが「自身がアクセント情報を持っていない」と解釈され、伝統的には無標の扱いをされてきました。しかし、順接の付属語を無標としてしまうと、名詞のアクセント体系にギャップが生じることは先に述べた通りです。その上、順接の付属語は「下り目」の位置に複数のパターンがあるので、ギャップを甘受してさえも単に無標とすることはできません。
たとえば、コピュラの「どす」は「アメリカ」amerıkā について「アメリカどす」となれば、「アメリカ」の末尾の曲線声調 nR が「どす」の第二拍「す」にまで継承され、全体では amerıkadosū となり、「コスモス」kōsumosu につけば、最後の「ス」の曲線声調 F が継承され kōsumosudosu となります。一方、過去形の「どした」は同じ条件でそれぞれ amerıkadōsıta, kōsumosudosıta となり、曲線声調は第一拍までしか継承されません。
低接の付属語と違い、順接の付属語にはこのようにアクセントの位置の対立があります。
したがって、順接の付属語にも位置を示すアクセント記号が必要です。順接の付属語のアクセント記号には、曲線声調を指定する必要はありませんが、名詞に使われる記号 á および ā と目で区別できると便利なので、そのどちらでもない記号として à を使います。
たとえば、さきほどの「どす」は dosù, 「どした」は dòsıta と表記することができます。
関西方言にも曲線声調が必要な理由
表 4, 5 は一対一の対応関係があるため、これだけをみると、表 4 のブラケットによる記述(段階声調による記述)と、表 5 の nR, R, F を使った曲線声調による記述は同値であるようにみえます。しかし、もっと長い言語単位を見てみると、両者は同値ではないことがわかります。
次の論文「現代大阪市方言における低起式アクセントの特徴」(郡史郎 2012, 『音声研究』 16 巻 3 号)の中の図 1 (p. 63) と図 2 (p. 64) を以下に引用します。
ここに引用した図 1 は、大阪市方言の「それ何ですか?」(What is that? の意。黒線。) と「それなんですか?」(Is it that? の意。白線。) のピッチ形を比較したものです。段階声調ではいずれも [ソレ]ナンデス[カ となる両者ですが、画像を見るとピッチによる区別があることがわかります。
曲線声調では、黒線の「それ何ですか?」は nRnR RRRRR, 白線の「それなんですか?」は nRnR FFFF のように書き分けることができます。(※「それなんですか」の「か?」の部分の上昇イントネーションが表記されていないことにお気づきの方もいるかもしれません。nR, R, F からなる曲線声調の表記法は、アクセントの語彙的な特徴を表記することはできるものの、疑問文に特徴的な文末イントネーションを表記するための記号がありません。これは「それ何ですか?」についても同様です。)
画像を見ただけでは耳で聞いたときにどのような違いとして感じられるかがわかりませんが、耳で聞いても違いはわかるということを表すエピソードを一つ書いておきます。私は大阪方言を話す知人に、両例をランダムな順で発音してもらい、私が順番を当ててみるという実験をしたことがあります。私は関西方言は話せませんが、順番を当てることができました。
関西方言の直感がある方は、「それ何ですか?」と「それなんですか?」をそれぞれどのように発音するかを思い出したり、声に出したりして、比べてみてください。
同様に、図 2 の「由美飲んでるわ」(由美が何かを飲んでいる、の意。黒線。)と「由美のん出るわ」(由美のものが出る、の意。白線。)についても、段階声調ではどちらも [ユ]ミノンデ[ル]ワ であるところ、両者にはピッチによる区別があります。曲線声調では、「由美飲んでるわ」は nR F RRRR F, 「由美のん出るわ」は nR FFF RR F となります。関西ローマ字では「由美飲んでるわ」が yūmı nonnderú wa, 「由美のん出るわ」が yūmı nonn derú wa となります。
「船」と「猿」の対立
関西方言には、一般に二拍4類と5類の対立と呼ばれる対立があります。この「類」というのは、日本語学で関西方言を含む諸方言の語彙を分類するためのグループ名のようなものです。ここでいう二拍4類と5類の対立は、以下のような例によって示すことができます。
表 8
a. 船も RR F
b. 猿も RR F
c. 船が RRR
d. 猿が RR F
表 8 からわかるとおり、「船」と「猿」は、以下の点で奇妙です。
・低接の付属語「も」が後続した場合はどちらも RR F で対立がないが、順接の付属語「が」が後続すると「船が」は RRR, 「猿が」は RR F と、ピッチによる対立が現れる
・「が」は順接の付属語であるにもかかわらず、「猿が」は RR F であり、曲線声調が直前の拍と一致していない
この謎は、二拍の名詞の体系を書いてみるとすぐに解けます。
表 9
高起式:
α. 水が nRnRnR (mızū gà)
β. 山が nR FF (yāma gà)
低起式:
γ. 船が RRR (huné gà)
δ. 猿が RR F (???)
(語彙のデータは『日本語アクセント入門』p. 109 に基づく。)
「猿」は、低起式でかつアクセントが第二拍にある「船」huné と対立する形であることから、さもなければ空所となる、低起式でアクセントが第一拍にある型、つまり sáru であると考えられます。このことは、「直前の曲線声調に倣う」という、順接の付属語のルールとも符合します。というのは、sáru という形は、「本来は」第二拍の曲線声調が F であることを予測するからです。この「本来の」形に順接の付属語が「倣う」とすれば、順接の付属語である「が」が「猿が」sáru gà において F になることも正しく予測されます。
(※最近では、若い人の発音では「船」 huné 型の単語は少なくなり、それらの多くは「猿」sáru 型に移行しているようです。また、「猿」sáru 型の単語について、伝統的な発音では単独で発音した場合に huné 型と同型にはならず、「拍内下降」と呼ばれる特徴的なピッチ形が現れるようです。)
順接の付属語が正しく処理できたら、その後必要なのは、適当な単位について「その単位が長さにして3拍以上であり、低起式のアクセントが第一拍にある場合、耳に聞こえる発音において R の区間は第二拍にまで及ぶ」というルールです。
このルールは、「バナナ」や「マクド」などの外来語アクセントについて、有名な「3モーラルール」(または「2音節ルール」)を適用できるというメリットがあります。たとえば、「本来は」バナナは bánana, マクドは mákudo であり、耳に聞こえる発音では banána, makúdo と同じになる、という具合です。このほか、用言の活用を考える場合にもこのルールは有利なのですが、記事が長くなるので、筆者の以下の草稿をご覧ください。(ダウンロードできない場合は筆者 ( twitter.com/awesomenewways または maroon_02_flory@icloud.com ) までご連絡ください。)
「3モーラルール」については、「英語と日本語のアクセント」(窪薗晴夫 2018, 『英語学を英語授業に活かす』開拓社 pp. 250-267)に詳しい解説が載っていますが、残念ながらオープンアクセスではありません。以下の論文「日本語のアクセントとその規則性」(儀利古幹雄)も参考になります。
この記事について
この記事は「語学・言語学・言語創作 Advent Calendar 2021」に参加しています。