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学校に行けない「理由なんてない」という言葉に救われた
はじめまして、こんにちは、じょんと申します。
名前の由来は好きな海外俳優さんのミドルネームからきています。
さて、タイトルにある「理由なんてない」に救われたとはどういう事なのか?についてお話したいと思います。
先に「学校に行けない」部分についてザックリ説明いたしますね。
私は中学生の頃、学校にほとんど行ってませんでした。一年生のGW明けから行けなくなり、それから修学旅行と三年生の三日くらい以外は全く通いませんでした。
そんな私が、行けなくなって最初期の頃に悩んでいたのが『なぜ学校に行けないのか』についてでした。
不登校になるのには理由があるのが大半ですよね?でも私は誰かにいじめられたわけではありませんし、嫌いな先生がいたわけでもないんです。でも母は何度も私に聞いてくるのです。「なんで学校に行けないの?」「どうしてなの?」と執拗に叫ぶんです。
親の気持ちは分かりますし、迷惑をかけたくない。だから自分でも悩んだんです。「なぜ?」なのか。いくら探ってみても自分で思い当たるふしがない。
学校が家から遠いから? 校舎が広くて把握できないから? 自転車通学だから? 生徒の数が多いから? 委員会や係の活動の負担が増えたから? 進学塾に行ってたのに勉強についていけないから? 問題を解く手が止まってる生徒にだけ「大丈夫?」と声をかけてくるから?
などとたくさん理由になりそうなものを挙げました。最終的にこれら複合的な理由なんだろうなと思うようにしました。
それでもやはり納得いかない自分がいて、最後にはネットで調べるという行動に走りました。そこで出会ったのが「不登校になった理由なんてない」というとあるブログ内に書かれた言葉でした。正確には覚えていませんが、そんな感じの言葉だったと思います。これを見た瞬間、心のモヤが晴れていくような感覚になったんです。
そうだよ、ムリに理由を作る必要なんか無いんだ。
でも、これを両親に言ったところで納得はされませんでした。そうして私が中学校に行けなくなった理由を話せないでいると両親がどうやら心当たりのある理由を見つけたらしく、「理由がないんじゃなくて、それが潜在的なものだから言葉として出てこないだけだよ」と言われ結局は「本人の意思でもない中学受験のために塾に通わせた我々、親の責任だ」となりました。
私、個人としてはこのような結果になったことに少しの罪悪感があるのですが、とりあえず「なんで?どうして?」と聞かれなくなったことで心が落ち着くようになりました。
とはいえ、この結果に至るまで二年ほどかかったので、それまでの間はかなりしんどかったです。(まあ、これはまた別の話になりますね。)
しかし私が納得した「学校に行けなくなった理由なんてない」は、社会では通用しません。このあとの人生で何度いろんな場面で聞かれたことやら。面接という度に絶対に聞かれます。なので適当な理由を考えておかねばならないのですが、それが私にとって今も苦痛となっています。
というお話でした。
理由なんて必要ないわけではないんですが、それを考えるがために精神的にしんどくなったり、心の枷になってしまってはダメだと思って今回、このように書きました。
これで悩んでいるどこかの誰かに届いたら嬉しいです。ではでは('ω')ノ