現代詩の「現代」とはどんなものか?
現代詩なら最先端を走っているべき、とファッション誌を眺めていて思った。
これらの写真とかショーの服などは、こんなものもいいんじゃないか?という提言であって、これがいい!という押し付けではない。現にショーに出た服は淘汰され要素だけ抜き取られて、磨かれ一般の服にニュアンスが下りてきている。
現代に生きている服は過去やり尽くしたパターンを踏襲しつつも新しいものを探しているように見える。デザイナーも写真家も業界全体が新しいものを探してもがいているような気がする。
それが「現代」と言えるのではないだろうか。
現代詩も「現代」とつくのなら、そうあるべきだろう。
過去やり尽くしたパターンを学び、ときに昔の手法に立ち返りながらも新しいものを探し、新たな主流を提言し続けるべきだ。
すでに知っている人は知っていることだろうし、心構えがもうすでにそうなっている人もいるだろう。自分で現代詩をやっている、と言っていた癖に、なにを今更と思われるかもしれない。
しかし私には新しい発見だった。
ちなみに見ていたファッション誌はFASHION BOOK JAPAN ISSUE 1
2019.9.17 日々野いずる
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