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「結果がすべて 」なんて大嘘

放課後 同級生はどこかへ遊びに行ったり、勉強を頑張っていたり、教室にいつまでも残って青春っぽいことをしたりしていました。そんな光景を横目に、町クラブの練習に行くために一人 誰よりも早く家に帰るのが 僕の中学校の思い出です。

辛いなんて感じたことは一度もなかったけど「自分はなぜサッカーをしているのだろう」と思い始めたのは確かこの頃だった気がします。

この原体験が自分にスポーツの意味を考えさせるようになってもう10年も、葛藤とともにサッカーをしてきました。

時間・身体・金 ほとんどを本気のサッカーというものに集中投資する、それも10代〜20代前半の自分のそうしたリソースを使うことの深刻さを、リアルタイムで感じていました。

試合に勝てば最高に嬉しい。しかしただそれだけのためのスポーツだとすれば、嫌な言い方をすれば「割に合わない」

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(Photo: yasuyo KANIE)

決定的だったのは大学四年の夏です。チームは創部初の日本一を獲得し、自分は主将として快挙を成し遂げました。自分は中央最前列で足を伸ばし「これ以上ない結果」に満足げな顔をしています。

ただ、注目してほしいのは後部、スタンドにいる後輩たちの表情です。彼らの何とも言えない表情に、大きなショックを受けたことを今でもよく覚えています。

正直びっくりしました。日本一になることは、自分たちを自動的に幸せにしてくれると思っていたからです。日本一になることは、例外なく意味のあることだと思っていたからです。

それでも写真を見れば明らかなのは、彼らを幸せにすることはできなかったし、彼らは何の意味も感じていないということです。そして僕にとっても、割に合わないどころか人生で最も辛い最低な、意味のない勝利でした。


意味と結果の関係性は、基本的にこうなっていると思われています。というか、自分の中では当たり前すぎて考えたこともなかった。

しかし、想定していた通りにはなりませんでした。「意味のない勝利」は確かにあったのです。これは衝撃的な体験でした。

ここから導き出される揺るぎない事実は、意味は、結果とは別のところにあったということです。意味と結果を切り離すことを余儀なくされました。

そうすれば当然、対概念である「意味のある敗北」の存在も肯定することになります。四つすべてあるのです。

上段は結果に引っ張られてしまいます。
〈左上〉勝ったから意味を感じられた
〈右上〉負けたから意味を感じられなかった
こう考えてしまう、実際は関係なくても。

重要なのは下段の部分です。
〈左下〉勝っても意味を感じられなかったら?
〈右下〉負けても意味を感じられたら?
下段の二つのような状況になれば、人はスポーツについて考えざるをえません。

そして「意味のない勝利」という悲しい経験をするのは僕で最後にして、考えるべきは「意味のある敗北」の方です。ここを解き明かす過程を通して、スポーツの核心に迫ることができると思っています。

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はっきりさせておきたい前提は、全力で最後まで勝利を目指すことが、いかなる場合においてもスポーツをスポーツたらしめる要素の一つだということです。無我夢中で競技する中に気づきがあり、その先にだけ伝えられる影響があります。それらは勝っていくことで、定量的にも定性的にも拡大していくことは事実です。


ただ、ほとんどの「勝利したい」人たちにとっての、受け入れがたい刺激物であるために「敗北」という言葉をタイトルに使いました。

負けたときのことばかり話すつもりはなく、それを正当化して逃げ道を作るつもりもありません。「結果がすべて」と大嘘をつく人たちへの、自分なりの意思表示です。

重要なのはスポーツをなぜするのか、どう関わるのか、何を創り出せるのかを考えることです。意味に向き合い続けることです。それをやめた瞬間、例えばサッカーはただの球蹴り合戦に成り下がります。


そして、我々プレーヤーにとってのスポーツの「意味」はまた、外の世界にとってのスポーツの「価値」でもあります。ビジネスにも同じように、努力があり挑戦があり勝負があり、勝者と敗者がいて、悩みと葛藤と挫折の中で戦っています。

スポーツの暗黙知をここで言語化し図解し形式知にすることは、スポーツ以外の世界に数多くの魅力的なソリューションを提供できるはず。その無限の可能性に、ワクワクしています。

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自分は幸運にも、こうして考えたことをプロサッカーという舞台でPDCAを回しブラッシュアップできる環境にいます。

理屈では説明できない大きな情熱を感じたり、もうこれはどうしようもないというような絶望に堕ちたりする日々に身を置き、本にもネットにもどこにも書かれていない本物の気づきを得ることができます。

断言できるのは、スポーツが素晴らしいものであるということです。そのことについて、自分なりに確信を持っている部分が50%くらいあります。その意味を抱いて自分はサッカーをし、それを価値に変えるために発信します。

そして、残りの50%も獲りに行きます。



Twitter @izz_izm


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井筒 陸也
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。