朝井リョウ『生殖記』 #読書メモ
「うわ〜〜朝井リョウ、またやったな〜〜」というのが、第一の感想。
著者は自分と同年代。
「何者」は就活直後に読んで、就活の辛さ、大学生の痛々しい感じ、あと最後に主人公のSNS裏垢の投稿がつらつらでてくるところなんかはリアルすぎて、共感性羞恥というかわかりすぎて胸が痛い!という感じだった。
「正欲」も、世の中に急にあふれだした「多様性」という言葉。本当の多様性ってこうなんだよって突きつけられた感じで。
そして、今回の「生殖記」。
またしても、今の自分にぐさぐさ刺さるポイントがめっちゃくっちゃあった。
いくつか、メモをとったくだりを。
最初はなーんでヒトってこんなにも口を揃えて成長成長言うのかなって思ったんですけど、最近、別に好んでそう言ってるわけじゃないのかも、とも思うようになりました。
それしかないんですよね、逆に。
特に営利組織である企業に関して言えば、どんな分野であっても利益が“今以上によくなる”ことを目指しているわけで、成長以外に目標の立てようがないのかなって。
でも。
きっと皆、実は気づいてもいるんですよね。企業も国家も個人も、永遠に“今よりももっと”を達成し続けるなんて、不可能だってこと。
そのうえで、“今よりももっと”をやめるわけにはいかないということ。
今まさにゴーサインが出ているのは、「生産性がない人なんていません」という系統の言葉たちです。これに準じた“声”が、今の“なんとな〜くの空気”を形成しています。「ホモは気持ち悪い」的な“声”で“なんとな〜くの空気”が形成されていた二十年前に比べると随分な変化ですが、私からすると、今の空気も二十年前の空気も、どっちも同じくらい、ヒトっぽいな〜!です。
だって、「生産性がない人なんていません」ってつまり、「どの個体も、意味や価値に始まる何かしらの生産性とは無関係ではいさせません」っていう宣言、でもありますよね?
だから、全然優しい言葉ではないんですよ、
それどころか、自分が今後どんな状態になっても、いつ何時でも、共同体にとって有用な個体でいなければならない感、すごくないですか?
本当は会議に参加している全個体、永遠に続く拡大、発展、成長のレースから降りたいんじゃないかって話をしました。“今よりももっと”を永遠には続けられないことに誰もが気づきながら、共同体感覚を互いに見張り合って生きることをそろそろ休憩したいんじゃないかって。
でも、もしかしたら真逆なのかもしれないですね。
ヒトはむしろ、共同体感覚を見張ってくれる監視カメラを増やしていきたいのかもしれません。
自分を“人間”や“社会的動物”から降りさせないようなストッパーを、一つでも多く欲しているのかもしれません。
そうじゃないと、こうなっちゃうから。
夜、便座にぴったりとくっついちゃうから。
仕事でも家庭でも社会貢献活動でも何でもいいから、自分を走り続けさせてくれるものが欲しいのかもしれないですね。
同性愛者である尚成がメインのキャラクターとして据えられていて、尚成の生きづらさと生存戦略……みたいなところをコミカルに書いていくんだなぁと思っていたら、現代社会をバリバリに刺してくる。
なんでもかんでも「拡大、発展、成長」っておかしいですよねとか。
マイノリティに対するマジョリティの傲慢な目線とか。
尚成は仕事でできるだけ省エネで必要最低限で、「大きなマットを一緒に運んでいるフリはしているけど手を添えているだけで力はいれない」という生き方をしている。
それを、いやいやと思う自分と、でもだんだん読み進めていくうちに、自分も、とにかく手を動かしているフリして時間を効率よく消化しているときあるよなとも思ってきて、尚成のこと笑えないなってなる。
「意識高い系」の描写もめっちゃ上手くて、共感性羞恥みたいな感情が発生するんだよな。
「生産性」についての言及があるぶぶんは、自分が職場の計画もの作った時に意気揚々と「生産性の向上」を目標に入れ込んでいたからゾッとした。
あと生き方の話。
みんな監視してくれるものを本当は求めている、宗教のように生き方を決めてくれるものを求めているっていうの…
それを言ってしまうか、っていうね。
あとあと、今自分がもうすぐ30代後半に入る不妊治療中の身だから、作中の樹が、自分は本当に子どもがほしいのか、本当にほしいものってなんなのかという思いを語るところは、正にそういう思いを抱いているから、読んでてひゃ〜〜ってなったな。
「もっと言えばね。私、もしかしたら、周りの友達と話が合わなくなるのが怖いだけなのかもしれない。自分だけ皆と違う人生になることとか、ずっと独りで生きていく可能性とか、そういう不安が、“子ども欲しい”に変換されてるだけなのかもしれない。」
「私、多分、この正体不明の不安を何か形があるもので埋め合わせたいだけなんだと思う」
朝井リョウは、社会への解像度の高さ、みんながうっすら感じていた違和感
をすくいとる力、そしてそれをストーリーに落とし込む表現力、どれもずば抜けてヤバすぎる。
今作の、ここまで「ヒト」を人外の存在から俯瞰して冷静に見れるの、なんなんだろう。「ここがヘンだよ日本人」みたいな感じで「ここがヘンだよヒト」をやれるのって、こんなん神の視点やん。
ストーリー的にいくつも山があって、ラストも駆け抜けて終わるんですが、最後に尚成が辿り着いた尚成にとっての幸せの形が、ああいう落ち着き方するのも、違和感はある。でもなぜそれがいけない?みたいな。
とにかく、最初から最後まで、ざらざら、ざわざわ居心地の悪さを感じながらも筆がうま過ぎて話が面白くて一気に読み進めてしまいました。
やっぱり朝井リョウさん、すごいです。