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馴れ初めから今までの話

2/11、ビデオ通話でべそべそしながら、3回目の結婚記念日を迎えた。
今は2/11は結婚記念日だけど、大元は、我々が犬とそのパートナーという形で、ステディな性的関係をしよう、と明確にしたのが2/11だった。
そんなわけで、今回はつらつら思い出話でもしようかな、と思う。

主従関係になった話

元々関西にいた彼と私は相互フォローで、よくDMで相談に乗ってくれていた。
えっ今関東にいるんですか!?私もなんですよ、会いませんか?と押し切ったのが初めてのオフだった。のちにそのルノアールで何回も待ち合わせをして、お洒落が決まらない私は何回も遅刻をした。

初めて会ったときはぎりぎり19歳で。誕生日を聞いてくれて、もうすぐですと素直に答えて。9個も歳上だけどオタクとして師と仰ぐ変態なお兄さんとのオフ会は楽しかった。

一ヶ月後、2回目のオフ会をしたい、誕生日プレゼントを渡したい、とあちらから声をかけてくれた。今はもうない某所のイタリアンで、ご飯を食べながら、「実はコルセットを渡したいんですよ」と言われた。
薄暗いカラオケで、本革のアンダーバスクコルセットを「遅れたけれど誕生日だよ」と締めてくれて、私はなぜかぽろぽろ泣いた。

後日、「あの日、すごく落ち着いたので、パートナーになってくれませんか。よかったらまた遊んでください」とお願いをして、次回、逢瀬に彼はステンレスの重たい首枷を持ってきた。そこから、彼とは性的にステディなパートナーとなった。

お決まりの少し古びてて清潔で広々してるラブホに、玩具やコルセットをスーツケースいっぱいに詰め込んで、土曜の朝からフリータイムでめいいっぱい遊んで、夕方に出て、お魚屋さんがやってるその近くのお店で呑むのが定番だった。
プレイも好きだったけれど、こうやって呑むのが一番好きな時間だったかもしれない。

彼氏と彼女になった話

あるプレイの日、土砂降りの雨の中、行きつけのホテルのある町がお祭りをやっていて。たまに行く九州料理屋が屋台を出していたので、夜ご飯に買い食いをした。海老の挟み揚げサンドと瓶のハイネケン。雨宿りをしながら、ふたりではふはふとかぶりついて食べた。
「美味しい?」と顔を覗き込んでくる彼の顔を見たとき、なぜかわからないけれど、あっ、この人は私のことが好きなのだ、と確信した。
その後、ハタチの小娘だった私はものすごく意識しちゃったりして、結局、性的パートナーという関係性だった人を恋愛の意味でも好きになってしまった。
その後、何度目かの逢瀬で「あなたがいいって言ったら、私は付き合う準備はできてるんですよ!?」と刃を突きつけるような言葉で迫った。
物凄く迷いを目に浮かべたあと、彼は「よろしくお願いします」と言ってくれた。
お互い半分裸みたいな格好で、布団の上で手をついてお辞儀した。
そうして、犬と飼い主は、絶妙な恋人関係になった。

同棲と結婚の話

そこから何年後だったか、今から四年前、遠距離の彼から電話があった。「東京にいくことになったから」
私の住んでるところからバスで20分くらいのところに彼が引っ越してきた。
私は彼の部屋に入り浸り、自分の部屋には着替えを取りに帰るような始末だった。
その後、世間はコロナ禍となり、WiFiがソフトバンクエアーだった私は完全に在宅勤務ができず、彼の家のつよつよwifiに頼り切りになり。とうとう、これもう同棲しちゃおうか!と言って、赤帽を使いさっくり引っ越した。

同棲から半年目の冬、並べた布団の上でゴロゴロしながら、どういう流れだったか、彼の方からポロリと「結婚しようか」という言葉が漏れて。「うわあ!もっとちゃんとしたシチュエーションで言いたかったのに!!」と悶え転がるのを見て笑いながら、うん!と返事をした。

彼のご両親は私と喜んで何度も会ってくれた。我が母は「結婚が決まったら会わせてね」というスタンスだったので、同棲から半年で「両家顔合わせをやるから、その前に会ってくれ」という話を持ち込まれて驚いていた。
両家顔合わせは、当時住んでいたところの近所の割烹で行われた。時間がギリギリでワンピース、綿百のワイシャツ、それぞれアイロンがかけられなくて、お互いの両親に呆れられた。フリーのカメラマンを数時間レンタルし、写真を撮ってもらった。
ブライダルフォトも撮らなかったので、その写真が唯一フォーマルな私達の写真となった。

まぁ喧嘩もあったけど、そばにいるし、生活が好きな我々だったので同棲も結婚生活もうまく行ったと思う。

入籍日、コロナ禍真っ只中、空いている城之崎で蟹を見たくなくなるほど食べて、温泉につかった。

翌年の2/11は、スーパー銭湯と下町の焼肉でホルモン三千円食べ放題を堪能して我々らしいと笑った。

妊娠と今、そしてこれから

去年のGW、いつでも育児できるようにと新居に引っ越した。
7月、時間かかるだろうね、とりあえず物は試し、と妊活一回目からの妊娠が発覚して、嬉しいやら大慌てやらした。

10月、夫に単身赴任の辞令が出て。なんで妊娠5ヶ月のタイミングでってその日はたくさん泣いたけど、一年で戻れるようにするために今なんだ、むしろ限界まで配慮してくれたんだって言われて、それじゃあ見送るよって単身赴任がスタートした。

今年の結婚記念日、2/11はビデオ通話だった。私は妊婦高血圧腎症と2月末出産予定で入院、コロナ禍ゆえ面会禁止。
入院代がバカ高い話、保活の話、シビアな話もたくさんして、ちょっと八つ当たりしちゃって悲しませて、その上でもまた今年もやっていきましょう、と結論した。


飼い主と飼い犬から始まった関係は、絶妙な恋人関係から対等な夫婦になり、これからは母と父になる。

このふたりの間にあるのは、かつてのような興奮とか刺激とかではなく。今までは生活で、これからは子どもの養育だ。
切なくもあるけれど、堅実にやっていく。

人間としてこのひとに惚れ込んで勝手に私が始めてしまい、彼が応えてくれた関係だから。

たとえ最初の興奮がなくとも、美味しいものを食べたときの笑顔やお互いのいる生活を愛おしむ限り続くと思う。

なんとか乗り越えていきたい。

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