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#1 「育児は育自」という名の呪い

自分の人生について考えるうえで、まず参考になるのは自分の親。特に女の子の場合は母親ではないでしょうか。私の場合は、完全に女性の生き方のロールモデルが母親でした。そして現在も母親です。それは変わりません。

母ほどパワフルな人を、愛情深い人を、チャーミングで愛おしく思える人を私は知りません。大好きで心から尊敬できる母です。そんな母から私がどんな影響を受けたのか、そしてそれがどのようにその後の人生に大きく響いていたのかを今回はまとめていきます。

子供ながらに思っていた「お母さんすごい」

母は子供たち、特に未就学児に関わる仕事をしている人でした。40年以上最前線で働き、たくさんの子供たちに関わりながら知能訓練の教材を研究開発する研究員であり、実際に自分が授業を担当する指導員でもありました。もう退職していますが、毎日フルタイムで働き、産休育休を取りながら私と姉の2人の子供を育て上げた母。途中、父が単身赴任になったときは、2人の小学生を抱えてワンオペ育児をし、その最中に免許も取得するというハイパーっぷり。よくしゃべり、よく笑い、よく泣き、何事も一生懸命で、真剣で、どんなに仕事が忙しくてもきちんと家事をして、家はいつも綺麗で、三食バランスのよい食事を作って、子供たちが何歳になっても力いっぱいのハグを欠かさない母。私も友達の間では相当パワフルなことで有名ですが、友達が母に会うと「izu以上だね。izuの何倍もパワフル。」と必ず言って帰る、そんな母です。

もちろん私は保育園、学童育ちです。保護者会にも、授業参観にも母はほぼ来たことがありません。でも私はそんなバリバリ働く母がとても誇らしかったし、保護者会の翌日に欠席した保護者の子供たちが集められて、保護者会で配られたお手紙を渡される時が地味に嬉しくもありました。母に愛されていない、自分が愛情不足だと感じたことは一度もありません。「私のお母さんは暇じゃないんだぞ!」とそんな風に思っていたのを今も覚えています。「働くことは自己実現だから。命ある限り働いて社会貢献しなさい。」かっこいい母、憧れの母、大好きな母の言葉の影響力は絶大でした。私も母のように働き続けるんだ。結婚しても、出産しても、退職するまで働き続けるんだ!それが当たり前なんだ!と子供ながらに私の将来の理想像が固まっていきました。

「育児は育自」あなたも子供を産みなさい

母方の家系はなぜか教員が多く、母方の祖父母も教員でした。家族の影響ではありませんが、私も教員を目指したいと思い始めたころから、母はいつも

「子供に関わる仕事をするなら、あなたも必ず自分の子供を産みなさい」「子供を産んで育てることは育児であり育自だから」

と言っていました。何十人、何百人という子供たちと保護者の方に関わってきた母でも、わが子を育てるまでは自信をもって仕事に臨むのは難しかったと言います。姉を産み、4年後に私を産み、自分自身が保護者の方と一緒に子育てを経験することでやっと自分の言葉にも説得力をもたせられる。人の命を一日でも長らえさせ、そして人を育てるという行為を日々体験することほど、自分を成長させてくれることはないんだ、何度も母から聞いた「育児は育自」という言葉は、私の中に日々刷り込まれていきました。

もちろん母には私を追い詰めるつもりはありません。全力で私の夢を応援し、教育に携わる者として、一人の人間として、女性にしかできない妊娠や出産を経験し、より豊かで実りある人生を送ってほしいという切なる願いだったのだと今は思います。しかし、この母の願いと、私の盲目的な将来設計により、20年近く私はいろいろなもやもやと闘うことになります。

「30歳までには産みたい」が「産まなきゃ」に

中学、高校、大学と進学しながらも教員になりたい、という夢は変わらないままでした。そして、夢が変わらないのと同じように、結婚して出産をするんだ、むしろ出産をするために結婚をするんだ、というぐらいの気持ちで成長していきました。恋愛に興味がなかったわけではありませんが、両親がお見合い結婚だったこともありお見合い結婚にも全く抵抗はなかったので、25歳あたりをすぎても相手がいなければお見合いでサクッと結婚するぞ!と思っていました。恋愛に時間をずっと使うのはもったいない。だって出産までのタイムリミットあるし。10代後半あたりから漠然と思っていた「30歳までに一人産みたい」という思いは、20代になると「30歳までに一人産むんだ。産まなきゃ。」に変わっていったように思います。

30歳までには一人産みたい、そのためには29歳までには妊娠したい。3年ぐらいは新婚生活を楽しみたいから26歳までには結婚したい、結婚するまでにも2、3年付き合いたいから、22、23歳で出会った人と結婚したい。大学生の時にはずっとそんなことを言っていました。もっと言えば「2、3年付き合ったみたいな彼氏が今すぐほしい」こんなことも口走っていました。今思えば何をそんなに焦っていたのかとも思いますし、後々お相手となる人の事情も完全無視でどこまで自己中な人生設計だよと思いますが、とにかく私の目標は恋愛でも結婚でもなくその先にある出産でした。結婚前母には、「あんた!子供作りたいから結婚するの!?相手は誰でもよかったってこと!?そんなの産まれてくる子に申し訳ないわよ!」と言われたこともありますが、私に言わせれば「あなたの言葉に影響されてこの思考で生きてきたのよー!」というところでしたが。

たまたまというか、運命というか、22歳で出会った現在の夫と23歳の時にお付き合いをはじめ、26歳で入籍することになります。その後、子供のことで悩み苦しむのはまた別の記事にまとめる予定ですが、そろそろ5年目を迎える結婚生活も楽しく過ごせています。夫のことはとても大切で大好きですし、この人以外私と結婚する人はいなかったとも思っています。しかし、こんなに「出産」にこだわっていなければ全然別の人生もあったかもしれない、別の人と結婚する人生も、結婚しない人生もあったかもしれない、とも思います。母の言葉は知らぬ間に私を縛り、考えを硬直させ、呪いのようになって私の行動を誘導していたのかもしれません。

多様な選択肢を提案できる親になりたい

親が子供に見せる姿、かける言葉は、子供に絶大な圧をかけるんだと30年経った今身をもって感じています。母の言葉によって私は不幸になっているとは思いません。「毒親」という言葉も昨今話題になりますが、母が毒親だとは私は到底思えませんし、母の愛情に包まれて育った私はむしろとても幸せな人生を歩んでいるように思います。しかし、人生の選択肢は狭まったかもしれません。20歳を過ぎたら全ての選択は自己責任、という話も聞いたことはありますが、そうは言っても物心ついた頃から日々刷り込まれてきた概念を覆す選択をすることはそんなに容易ではない。自分もこれから親になろうとしている今、どんな言葉がけをするのか、どんな姿を見せていくのか、よくよく考えながら日々を過ごさなければいけないと感じています。私の姿、夫の姿だけが生き方ではないのだと、多様な生き方が認められてよいし、そんな人生の可能性を広げられるような親になるにはどうしたらよいのだろうと考える毎日です。

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