noteでの一年
今日はたまたま仕事場の無線ランが故障してて、半日ほどネットから遠ざかっていた。少しだけTLをさかのぼってみたけれど、あまりちゃんと追い切れてない。なにか色々とあったのかな? まあいいや。
批評について難しいことなんて、とても書けやしないもの。
ただ、私個人は、中学生のときから、当時読んだ(そして今でもたびたび読み返す)『エスパー魔美』というマンガの「くたばれ評論家」の回で、魔美のパパ、佐倉十朗氏が述べた一連の見解を生涯の指針としている(興味がある方は、「エスパー魔美 批評」で検索してみてください)。
もちろん、同じ話に登場する剣鋭介氏の「批評とは」についても当然だと思っているのだけれど、私はそんな強固な意志や絶対の自信なんてもっていないし、「がんばってるもんなあ」とか「気持ちはわかるよ」ってなっちゃう人なので、氏の主張する「信じた通り」を言うときもオブラートにくるみまくることだろう。
自分の作品のアマゾンのレビューだって、びくびくしながら読んでる小心者だ。
と、この話はここまで。
書こうと思ったのは、noteでの一年だった。
noteができて一年、私がnoteを知ったのもほぼ一年なので、そのへんのことを振り返りつつ、このSNSへの自分なりの気持ちを書いておこう。
アカウントを取ったのは、Twitterでその存在を知ってから数日後のことで2014年の4月17日らしい。わりと始まって間もない頃だとは思う。
最初の書き込みはトークで、こんな感じだった。
「とりあえずアカウントはとってみた。PATRONEの短編でも書いてみたいなあ。」
だってさ。
うむ。一年前からぶれてないね。
全くぶれてない。
バカだけどね。
でも、それがやりたくてアカウントを取ったのだな。
ちなみにその短編ってのは、このテキストね。←って、ここで宣伝いれるか~?
商業で書いてたけれど、続きをかけなくなってしまった大好きな物語。
この前後で他にも色々と書いてるけれど、やっぱり好きなこの物語。
そいつを書いて、もしかしたら価値を認めてくれる人がいたりして、お金を払ってでも読んでくれたりするのなら……。
もしそうなったら素晴らしいじゃないか!
いや、すぐにはそうならなかったとしても、書き続けてその機会を待っていられるなら、ただひとりで書き溜めてるよりいいなあ……という感覚。
おかげさまで、まだ未完成でもそれなりに読んでくれる人がいた。
本当にありがとうございます。こんなに嬉しいことはないです。うん。
さらに、noteならではのこともやってみよう! と、「超時空薄幸児童救済基金」も始めてみた。途切れ途切れながらも、なんとか継続している。
こちらも、1を購読してくださった方のほとんどが、9まで続けて読んでくださっている。本当に、本当にありがたいです。
この手の創作物だけを上げ続けるのが理想といえば理想なのだが、そんなに短時間にできることでもないし、TLから自分のテキストが消えてしまうと忘れられてしまうような気がして、他のSNSでやっていることも、少しこちらに持ってきたりしている。といっても、私はブログもやってないし、ホームページも持ってないし、facebookもやってない。棲み分けはそれなりにきちんとしていると思う。
他にやってるSNSはmixi(かなり古参。今でもここがメイン)、Twitter(まあまあ熱心にやってる)、Google+(写真をアップロードするだけ)ぐらい。どれも、基本的にのんびり平和に好きなことやってるだけだから、あまり大した経験はないから、これから述べることにはいくらでも反論、反証はあるだろうけれど……。
実は、現在のnoteの過ごしやすさはmixiでも経験している。
最初は、ここっていい人ばっかりだなあ、って思いが強かった(今でもマイミクさんはいい人たちばっかりですよ。念のため)。みんな、前向きで何か良いことをしようとしていて、積極的な空気があった。期待感と、理想と、わくわく感に満ちていた。
勘違いしないで欲しいのは「だから先行きが心配だ」とか、「だから、今後はこうしなきゃいけないんだ」とか言いたいのではない。
単に「今のnoteが好きだなあ」って話なのである。
より良く変わるのなら、もちろん大賛成だしね。
#一周年 #1周年 #note一周年おめでとう #note一周年
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