カナンの小さな神話6
金持ちと魔蛸・その3
さあさあ子供たち。
みんな集まったか?
よしよし、それじゃあ、ムング(神々)の話の続きをしようか。
さて、心配で気が気じゃない若者は、水牛に乗った役人たちが女房をさらったと思いこんで、彼らのあとをつけた。まあ、屈強なお供を八人も連れているんだ、怪しまれてもしかたない。
水牛に乗った役人は岸辺を川下へと進んでいった。何か探しているようで、みんなして川をのぞき込んでいる。
いつ飛び出そうかと若者がジリジリしていると、お供の中でも妙に腕の長い一人(※1)が、川面を指して声を上げた。
「ご覧なされ、血があんなに!」
見ると、川の水が真っ赤に染まっていた。
血は岩場の陰から流れ出ている。
「奴め、人を引きずり込んだか……」
水牛に乗った役人がつぶやいた。
赤い流れに、綺麗な刺繍のマイマパレ(※2)が水草のように漂っていた。
それを見た若者は、「あっ!」と叫んで飛び出し、川に飛び込んで拾い上げた。妻のマイマパレではないか。
彼がこれまでのことを役人に話し(※3)、疑っていたことを謝ると、相手も済まなそうに言った。
「魔賊か……奴にさらわれていたとはな」
そう、実は役人たちは、女房をさらったあの蛸の魔賊を探していたんだ。
あの化け物は、もとは普通の蛸だったが、魔法の網にかかって変化したのだという。
「網を取り返し、退治せねばならぬ。もう一度その網をかぶせれば、ただの蛸に戻るのでな」
役人が言うと、若者は叫んだ。
「妻を助けなければ! 私も一緒に連れていって下さい」
それでどうしたかって?
もちろん、彼らは洞窟に乗り込んだ。
魔蛸はきいきい言って襲いかかってきた。ぐったりした娘の四肢をつかんで踊らせながらだ。怒った若者がランギニョクを投げつけると、愚かな魔物はムングサに気を取られ、娘と網とを投げ出した。
その隙に、八人いたお供が八本の足をそれぞれ押さえつける。
「さあ、あの網を奴にかぶせなさい」
役人に言われ、網を拾った若者は、ぶよぶよした頭にそれをかぶせた。
すると、魔蛸はたちまちしぼんでただの蛸になってしまった。
網を放り出した若者は妻を抱き起こしたが、時すでに遅し、娘は体中の血を流して息絶えていた。
「嗚呼、なんてことだ……!」
洞窟を出た若者は、妻の亡骸を抱いて嘆き悲しんだ。
いくらお金があろうと、愛する妻は生き返えらない。
ネルリーヒ神は、この娘と結婚できるようにランギニョクをくれただけなのに、欲張ったから罰が当たったのだ……と、彼は悟った。
まあ、あのネルリーヒが本気でそんなことを考えてたとは、とても思えんがな(ラッハ、マク!)。
泣き伏している若者に、水牛に乗った役人がランギニョクを渡して言った。
「お若いの、こいつを手放す気があるなら、まだ間に合いそうだ。見なさい、ラノート神がまだ奥方のそばにおる」
ランギニョクを手にした若者にも、ラノートの姿が見えた。死の神は、あの長い髪の隙間から、じっとランギニョクを見つめている。やがて、ラノート神は魂も凍るような恐ろしい声で告げた。
<面白い物を持っているな。どうだ、交換せぬか、その女の命と……>
使い切れない金の山か、愛する妻か……若者は迷うことなくランギニョクを差し出した。世の中にはお金に換えられないものもあるんだ。
するとどうだろう、ランギニョクを手にしてラノート神が消えるなり、娘は息を吹き返していた。
喜ぶ若者に、微笑んだ娘が言った。
「ああよかった、やはり私を選んでくださったのですね。ラノート神と駆け引きをした甲斐がありました」
賢い妻は、魔物に答えた通り、命がけで夫の気の迷いを戻したというわけさ。
さて、話はこれでおしまいだ。
ああ、そうとも。改心した若者は妻の家の家業を継いで、二人は仲良く暮らした。時折、あの役人や八人のお供たちを招いてもてなしたが、そんなときの酒の肴は、いつも蛸だったとさ。
ポーカイ、ナンナン!(※4)
(注釈)
※1:ヨニムニ八門衆の一人、“猿臂の”ネモウのこと。ヨニムニと八門衆の魔物退治の話は幾つも伝わっている。
※2:胸に巻く女性用の下着。マイマは「胸(乳房)」の意。
※3:ここで、なぜ女房のマイマパレとわかったか詳しく話す、艶っぽいくだりのある伝書も存在する。
※4:日本語で「めでたし、めでたし」くらいの意。男女が末永く幸せに暮らすという結末の話は、これで終わる。
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