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移住初夜
いつもよりもはやく起きて、準備をする。引越し初日、移住初日。不思議といつもの日常の延長線のように感じていた。
持っていきたいものを最後の最後まで迷いながら、選ぶ。
友達と一緒につくったポシェット。
お祭りの木札。
プレゼントでもらったアクセサリー。
たくさんのお手紙。結局全部大切じゃんか。
大事なものを車に詰め込めるだけ詰め込んだら結局大荷物になってしまった。
思い出は、自分が忘れてしまった分も含めて持っていく。どこかのタイミングで思い出せるように。
誰かとの思い出、誰かからの気持ち、私と誰かの経験。
私が知ってたつもりになっている以上にたくさん残っていた。どれも大事でどれもかけがえのないもの。どれも置いては行けない。
日付が曖昧だったから引越し業者には頼れず、私と母の二馬力でナンチャッテ引越しをすることに。
大きな荷物はまた後日。
布団とパソコンと思い出を運ぶために二台の車で走り出したのだった。
1日の半分くらいの時間をかけて伊豆山へ。
ちょっと前。熱海市に少しだけ住んで、諸事情あって離れた。
それでもあの海と夜空が忘れられなくて戻りたくなったのであった。
ご縁があって寝るところと働くところを紹介してもらい、小躍りした一ヶ月後、流行りの風邪に倒れ、仕事開始が一週間遅れた。
一週間ずつ後ろにずれた私の予定。
それでもようやく私は熱海に戻ることができたのだった。
懐かしい山道を走り抜け、海の煌めく熱海へ。やっぱりこの場所が好きだ。
これからの毎日がどうなるのかは私次第。
やりたいこと、やってみたいこと、現実的なところ、色々と考えながら少しずつ行動していけたらいいな。
と、期待に胸膨らませているところ、結局夜半になってしまい、電気も水道も開通できる時間を過ぎてしまったので、今日はお宿に泊まります。
「なんかほんと、私たちってこんなんだよね」
母がそう言って笑った。
うまくいっているようでうまくいっていない。でもその中に面白さと笑いがあって、特段不幸ヅラすることなく図太く生きる。
そんな生き方が似ていた。
「なんだかんだ、私とお父さんの子供だよ、あんたは」
呆れたような、面白がってるような、そんな母の顔を見るのも明日で最後か。
「一年頑張って、どうしても嫌だったら帰ってきていいから」
そういう言葉の優しさを受け取って「どうしても嫌」にならない方法を考える。
嫌が大きくなる前に溜め込まない。やりたいことは全部する。言いたいことは全部言う。
円滑に、まあるくうまくいくために、自分のこと、相手のことを考えながら。
難しそうだけれど、きっと大丈夫。大丈夫にするためになんとか行動するんだから。
その夜は母の不思議な縁の話を聞いた。
母の遠い親戚と父が、母の知るずっと前に関わりがあったという。
私にも不思議な縁はあるのだろうか。
わからないけれど、いろんな人といろんな話をすれば、どこかで何かの繋がりがあるのかもしれない。
伊豆山の神様に近いうちに挨拶しなくては。