【雑記】自分の晒したくもない恥を小説に反映させる
いつもありがとう、出雲黄昏です。
「恥の多い生涯を送ってきました」
太宰治の人間失格において最も有名な文句である。
自分の晒したくもない恥を作品に反映させることができたとき、より深みのある作品になるのではないか。という仮説が出発点でした。
小説書きに必要な才能のひとつとして、羞恥心が捨てられるやつ。なんてことを誰かが主張しているのを最近見た。これが正解かと言われれば、必ずしもそうではないのだろうが、文豪たちの作品を読めばその匂いが漂ってくることもたしか。
僕が書いた今作の紹介文にさらっと元ギャンブル狂ということをカミングアウトしてます。
いかに過去とはいえ、自分の中では人に好き好んで話したいものではない。愚かな時間を過ごした消したい記憶。
その嫌な記憶をわざわざ引っ張り出して小説を書くというのは、気後れする部分があって精神が削れる感覚もあったけれど、覚悟が決まればそう難しいものでもなかった。
だからといって、自分が元ギャンブル狂(ギャンブル依存症というと語弊があるかもしれない)である事実を現実で誰かに言うことは今まで通り拒み続けるだろう。
嫌われる勇気なんて持ち合わせていない。
もうひとつ、多くの読み手たちが体感したことのないであろうギャンブル依存という世界観を、闇を、非日常として感じてもらいたかったからかもしれない。題材として需要は大きくないだろうが自分の中では意義のある作になったと感じている。
とはいえ自作に酔いしれることなんてないし、現に稚拙な文章力に嫌気がさす。いつだって自分の小説には自信なんてないし、商業作家の作品に打ちのめされる。ときにアマチュアでもプロ並みの筆力をもった猛者がいるし、自分なんて……。そう思わずにはいられない。
それでも、少なくとも僕の作を読んでくれる読者、応援してくれている読者がいることは、素直に嬉しく、大切な時間を僕の小説に割いてくれている読者がひとりでもいるうちは、面白い読み物を目指す。そしていつかその期待に誠意を持って報いたい。
あなたの心に響く作品であることを願います。
2024.4.29完結。