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【短編小説】半額貼り士との攻防

あらすじ: おれはいつもここのスーパーで野菜コロッケの半額品を狙っている。しかし、ここの値引きシールを貼付する貼り士は優秀だ。一筋縄にはいかない。半額ハンターの客たちも思い思いの品を勝ち取るため、貼り士との攻防を繰り広げる。半額を勝ち取りたいおれと、利益の最大化を目指す貼り士が展開する、日常を全力で生きる偏屈コメディ。

エブリスタでも読めます。

以下本文


 その戦略は愚策。常連のおばさんが狙いをつけた惣菜。そいつを買い物かごに予め入れて、半額シールを持つ店員が出てきたところ、「あら、これも安くなるかしら」などとくねくねするのである。愚策。愚策中の愚策。
 ここの「貼り士」は、そんな安い戦法、とうに見透かしている。
 店内を見渡せば、いつものハイエナばかり。ああいうこすい戦法を駆使するおばさん連中から酒の肴を探すおじさん。おれと同様に、貧乏学生であろう男子大学生。
 時刻はニ十時。いつもなら貼り士がバックヤードから出没する時間帯だが、どうも今日は遅い。不穏、どこか落ち着きのない店内の様相。そう感じた刹那、さてこそ店内アナウンスが響き渡る。
『只今より青果コーナーにおきまして、白ネギのタイムセールを行います。一束199円の品を、限定三十束限り50円。50円で販売いたします』
 くっ、なぜよりにもよって、おれの好物の白ネギをこのタイミングで。
 おれは惣菜コーナーの野菜コロッケ五個入りパックを狙っている。今から青果コーナーに走って白ネギを求める間に、野菜コロッケを他の客に取られやしないか。
 いや、まだ貼り士は店内に出てきていない。この隙に惣菜コーナーを離れようか。なにせ白ネギ50円は破格。半額以下じゃないか。惣菜なんて半額以下の値段にはまずならないのに。
 しかし、しかしだ。白ネギは調理が面倒なんだ。ただ焼いて食うにしても、包丁で切る必要がある。前にガスコンロの直火で白ネギをまるごと炙って食ったことがあったが、まあ食いにくいんだよこれが。繊維質が強くて噛み千切るのに苦労す――、
 は、貼り士!
 バックヤードから貼り士が出没した。よりにもよって白ネギのタイムセールと同時。くそ、図ったな。
 店側としては、貼り士に群がるハイエナを分散させるべく、このタイミングでタイムセールときた。ふっ、面白いことをやってくれる。
 そして、その策に呑み込まれてしまいそう。白ネギもほしいし、野菜コロッケもほしい。どちらを優先するべきか揺れてしまう。
 この折必然とも言えよう。おれの師匠の言葉が蘇る。
――コロッケとは料理にあらず。食材なり。
 そうだ。コロッケとは実は汎用性の高い食材なのだ。例えばコロッケを椀に入れお湯を注げば、ころもの適度な油分と中の具材が調和しスープと昇華する。この水分が同時に腹を満たしてくれるThe☆貧乏めしの出来上がり。他にもある。コロッケを軽くほぐし、チーズを乗っけて焼けばグラタンになるのだ。
 これを食材といわずしてなんという。そもそも具材はじゃがいもなのだし、野菜という食材なのだから青果コーナーに置いてあっても良いではないか。
 だが、世間一般の認識はそうではないらしい。これだから我が国は失われた何十年とか言われるのだ。新しい価値観を今、受け入れよう。
 コロッケは、食材だ。
 ほれ、もう一度。コロッケは食材だ。
 が、しかし、現実はいつだって不条理。おれは、白ネギを諦めて――必ずしも諦めてはいない。あわよくば野菜コロッケに半額シールが貼られ、獲得した暁には青果コーナーにダッシュし――勝つのだ!
 おれは、野菜コロッケが置かれる平台の前でじっと耐え忍ぶ。今こうしているうちにも白ネギは売れていっているであろう。震える拳を握りしめて、精神の安寧を願いつつ耐える。おれの目的は野菜コロッケだ! そう己を鼓舞し、今一度奮い立たせる。
 貼り士が携える値引シールがまとめられた、簡易なポリ袋に入っている一冊。貼り士はそれを取り出す。が、すぐには貼らない。貼ってはくれないのだ。
 貼り士は惣菜の売れ残りの状況を確認する素振りを見せるが、その広い視野で我々ハイエナの動向を捉えている。
 ハイエナたち、とりわけおばさん連中はたまたまこの時間に来たら、あらラッキー。値引きになるのかしら。あたしってツイてる。わざとらしくそのような顔をするのである。あたしは別に半額商品に興味ないのだけれど、なーんかちょうどやってたし、それなら、まああたしも不本意ながら半額のものを……。うるせぇ。地獄に落ちろ。そんなちっぽけな矜持捨ててしまえ。もっと貪欲に、値引きした商品を勝ち取る野性味を出せと。
 あの男子学生を見てみろ。あいつは、すでに目ぼしの付けた弁当の前でポジショニングしている。
 気付けば彼はそこにいるのである。かのサッカーファンならお馴染みのフィリポ・インザーギさながらだ。彼にパスが来るのではない。ボールが転がる先に彼がいるのだ。その証拠に、男子学生は極めて高い確率で半額の惣菜を勝ち取って帰るのが常。バロンドールは彼に決まりだ。
 もとい、冷静になろう。貼り士はなにも、半額シール一択ではない。2割引シール、3割引シール、中には値引きしないという悪魔の所業すら会得している。
 そこらの、機械的にペタペタと半額シールをやっつけ仕事のように、貼る者とは違うのだ。
 考えてもみてほしい。彼ら貼り士が優先すべきは店の利益なのである。値引きせずとも売れる物をわざわざ半額にする必要があろうか。ない。利益を最大化し、さらには廃棄商品を最小限に抑え閉店までに完売させる。それこそが貼り士としての至上命題だ。
 一方我々は、狙っている商品を気取られすぎれば、半額にしなくても買うだろうと推察され、値引きシールを貼ってもらえない。そんな事態に発展してしまうことは避けなければならない。これは貼り士と、半額ハンターたちとの攻防なのだ。
 だからおれは、野菜コロッケから絶妙な距離を取る。距離感は大事だ。初恋で学んだからな。
 だが、例にもよってあの男子学生は狙いの品をべったりとマークする戦略。これもまた愚策。そう考えるだろうが甘い。違うんだ。彼は彼なりの、才能のようなものを持ち合わせている。それは話術。
 まず悪い例から見てみよう。あのおばさんだ。
 もちろん貼り士はおばさんのカゴの中を確認済みだ。
「あら、てんちょ。これも安くなるかしら」
 てんちょ、すなわち店長。貼り士とは店長なのだ。他のスーパーではそこらのアルバイトなどが貼りを遂行するが、この店は貼りにこだわっている。だからこそ、てんちょがやるのだ。
「あー、いつもありがとうございます。いやぁ困ったなあ」
 貼りのプロフェッショナルであるてんちょは、わざとらしく振る舞うおばさんにも柔和な笑みを差し向けて、「いつもありがとうございます」そう言って、値引シールの中間に挟んでいた指を、ノールックで真ん中あたりの値引シールのシートをスッと引き出し、貼る。『3割引』。
「じゃあ特別ですよ」 
「あらありがとう、また来るわ」
 おばさんは満足気に去った。
 半額シールのシートは客に見せないよう下のほうへ隠していることをおれは知っている。てんちょはわざと一番上にしている『2割引』と印されたシートを、客へ見えるようにして売り場を躍動する。真ん中に3割引シール。下に半額シールを隠し持つ。策士なりて、貼りの流儀ここに極まれり。
 売れ残った煮物コーナーでは軒並み半額を貼っていく。てんちょが貼っていった後ろを、まるで鳥がエサに寄ってくるように線上、客が連なっていく。ちゅんちゅんちゅん……、数えて十三ちゅんのすずめたち。
 一方玄人であるおれは、まじまじと獲物を狙う鷲。煮物のような小物、くれてやれ。
 ここで良い例、男子学生の順番が回ってきたようだ。
 彼は店長が弁当コーナーに巡ってくるとすぐさま問いかける。
「ときに店長、今日はお客さんが多いのではなかろうか」
 男子学生は細身で弱々しい身体つきなのだが、お気に入りの衣服なのだろう。ぶっとい軍パンをいつも履いている。細い体格でまるで似合っていないが、この様相からも彼の性格が汲みとれる。他者の目など気にしない、我の好きなもの、信じるものを貫く意思を感じる。そういった点では見習いたい。
 口調も、昔の某掲示板サイトから飛び出してきた、時代錯誤なオタクっぽい喋り方をする。当人は論理を重ねて店長を口説いているように感じていそうだが、何か違う。友達も少なそうなタイプ。であるから、自分くらいは、彼の相手をしてやらなければならないのではないか、と、謎の使命感を引き出してしまうような。可哀そうな感じと言えば、それはあまりに上から目線が過ぎるか。だが、どこか憎めない感じの男だ。だから店長も嫌な顔ひとつせず、彼にいつも付き合ってあげるのだろう。
「そうですね、今日はお客様が多いから、どこまで値引きするか迷うよ」
「ときにこの弁当を所望するのだが、半額になりますかな」
「ああ、これね。新作なんだけど、売れ行き悪いから半額でも買ってくれるならありがたいよ」
 ペタッと所望された弁当へ、すんなりと半額シールが貼付された。
「いつもかたじけない」
 いーや、やっぱこいつ生理的に受けつけないタイプだわ。端から見る分にはおもろいが。
 その男子学生は、決まってその日に一番多く売れ残っている弁当を選択している。
 だからある意味、会話など関係なく半額シールが貼られるのは既定路線とも言える。が、悪くない戦略だ。彼はきっと好き嫌いがないのだろう。彼が選んだ新発売らしい弁当は、『アヒージョ風筑前煮弁当』なのだし。
 アヒージョ自体、煮込み料理ではないのか。それなのに筑前煮。はて、脳がバグるのだが。煮物の煮物。なんだ。どうやって作るんだこれは。筑前煮を作ってから、オリーブオイルで素揚げするのか。いやアヒージョ風だ。だからアヒージョとは似て非なるもの。仕上げにオリーブオイルを垂らす程度か。いやそうだとして、食いたいと思うか。否。半額でもいらん!
 なぜスーパーの惣菜コーナーというのは、時々このような創作料理をぶち込んでくるのか。……卒業論文のテーマはこれにしてみるか。『なぜスーパーの惣菜コーナーはダークマターを生成するのか』、いやさすがにふざけすぎているか。やめておこう。
 まあ、そんなことはどうでもいい。それより、おれは野菜コロッケに半額シールを貼られることを祈って、残っているかわからない白ネギのセール品を獲得せねばならない。
 惣菜部門の中でも揚げ物コーナーはやはり花形。きつね色に彩られた、動物的本能に迎合してしまえば、このカロリーの楽園へ吸い寄せられてしまう。そんな魔力をも感じるかのように、さきほどまで煮物コーナーにいたすずめたちは、エサを狩りつくしたのか。揚げ物のサンクチュアリを電線から俯瞰して、今にも急転直下紫電一閃、獲物をかっさらってしまいそうだ。
 野菜コロッケは定番商品。さほど人気商品ではないが、かといって不人気でもない。貼り士も長年の経験から、この商品をどのタイミングで半額まで下げればよいか熟知している。おれとて、野菜コロッケがどのタイミングで半額になるのかを、過去の傾向からおおむね計算できる。
 本日野菜コロッケは六パック余っている。この客数でこの数量売れ残っている場合、おれの分析データからは半額シールが貼られる確率は高いと示している。
 男子学生が去ったあと、弁当コーナーでおれは物色する、ふりをして、揚げ物コーナーで躍動する貼り士の動きを捉える。おれの本命は無論野菜コロッケ。貼り士は、もちろんおれが常連であることを知っている。さらにはおれがいつも野菜コロッケを狙っていることも知っている。そのお互いの思惑を理解した上で、駆け引きはすでに始まっているのだ。
 半額であれば、おれは問答無用で購入する。3割引以下では購入しない。貼り士からしたら、ある意味扱いやすい存在だろう。その日に売れ残りそうだと判断したなら、半額シールを貼る。さすれば確実に一パックは売れるのだから計算しやすいだろう。アヒージョ風筑前煮弁当とはわけが違う。
「ねえお兄さん、これ新商品なんだけど、どう思う?」
 な! これは不覚。さきほどまで視野内に捉えていたはずの貼り士。が、いつのまにかおれの死角から間合いを詰めてきていたのだ。こいつ、できる。
 おれは背後から肩を叩かれて振り返り、貼り士の手元に視線を落とす。貼り士はおれに向かって野菜コロッケ……のような見た目だが、違う。これは、
『白ネギメンチカツ』、だと? これで妥協するか。いや、メンチカツはコロッケのように、食材に成り得るだけのポテンシャルがあるか。どうなんだ。おれはたしかにメンチカツも好きだし白ネギも好きだ。だが、いや、しかし。ああ、だめだ。混乱極まり酩酊していまっているかのよう。なんという策士。我が軍は指揮系統が完全に麻痺してしまっている。
 いかんいかん。このままでは貼り士の術中。迷っているうちにも客たちが次々に商品を手にとって、買い物かごへ入れていく。話しかけてきた貼り士の背後で吟味していたおじさんも、今日の酒の肴はこの白ネギメンチカツに決めたらしく、かごに入れてレジへ向かったのが見えた。
「なぜおれにわざわざこれを?」
「ほら、お客さんいつも野菜コロッケ買ってくれるでしょ? もしかしたら好きかも。と思って。あれ、迷惑でした?」
 じんわりと胸が温かくなった。
 貼り士、もとい店長はめざとく半額の商品ばかりを狙うような乞食野郎共が。そのくらいに見下しているものかと考えていたがそうではないらしかった。おれたちのようなこすい人間を気にかけてくれていて、温もりを与えてくれる。ああ、だったら、買わなければならない。
 白ネギメンチカツの入ったパックを見やると『3割引』シールが貼付されていた。
 くっ、半額ではない。やはり策士か。おれの善意までをも操って、これを押し売りするつもりか。おれは心を鬼にして、貼り士の策略に落ちるまいと己を律した。
「いや、半額だったら買いましょう」
「そっか残念、この商品けっこう美味しいからおすすめなんだけどな。じゃあ、これでどうだい」
 貼り士は、2割引シールが貼られた野菜コロッケも手にして、
「これ半額にするからさ、セットで買ってよ」
 貼り士はこれみよがしに、おれの前で半額シールを野菜コロッケに貼ってあげるよと素振りする。
 半額の魔力。この店では基本的に2から3割引シール。そして半額シールを用いている。5割引ではない。半額。この漢字二文字だけが、値引きシールの中でも異彩を放っている。
 高所得者のマダムたちなら却って品がないと敬遠するかもしれない。庶民のおれだって、好きなものを好きなだけ食べたい。買い物をするときに値段を見たことなんてないですね。そう芸能人みたいに言ってみたい。しかし現実は違うのだ。小さな矜持を捨てて生きるしかない生命もあるのだ。
 そもそも惣菜ですら高級品。カップ麺などの加工食品のほうが手ごろにカロリーチャージできる。だが、そんな工業臭のするものばかり食べていたら、おれはロボットにでもなってしまったのか。そう錯覚しそうになることがある。おれはまだ人間だ。人間としての矜持は失いつつあるのかもしれないが、尊厳まで捨てたつもりはない。
 貼り士はおれに追い打ち。耳元でこう囁いた。
「ね、どう? もし不味かったら特別に購入代金を返してあげるからさ。きっと君なら気に入ると思うよ」
 ぐぬ。優しき。
 最近いつ、こんなふうに人から優しくされただろう。たぶん自分が気づいていないだけで、日常的におれも優しさに触れているのかもしれない。
 きっとこれは計算高い貼り士の戦略なんかじゃない。おれは店長が向ける笑顔に吸い込まれてもいい、と、おれの喉元まで熱いものがせり上がる気配。が、外に一滴たりとも溢すまいと、ぐっと下唇を噛んで受け取った。
 野菜コロッケ五個入り。259円。半額。
 白ネギメンチカツ四個入り。299円。3割引。
 ああ、おれは今日誕生日だったらよかったのに。だが、なんともないただの平日。日常。
 戦略だの策略だの。恋愛は駆け引きだの主導権の握りあいだの。勉強は効率だの質だの。なんか、もう……。そんなことばかり考えている自分があほらしく思えた。
 この小さな喜びのおかげで、おれはまただれかに優しくできるのだろうか。
 スーパーマーケットが営利企業であることに変わりない。だが、それ以前に地域住民の食のインフラでもある。いや、違う。そんな形式ばったことじゃない。ここには人がいて、温度があって、空気がある。難しく考える必要などない。ただ人の営みがある。
 最後に青果コーナーに立ち寄ってみたが、タイムセールの白ネギは完売していた。
 おれはレジで会計を済ませ店外に出ると、秋の風に鼻をくすぐられ、くしゃみをしてしまった。
 ああ、ちょっと贅沢しすぎたかな。
 そうも思ったが、
「まーいっか」
 つぶやいて、マイバッグをいつもより大振りに揺らしながら帰路に就いた。

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