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鳩と蛇と「私」

蛇が鳩にむかって
「ちゃんと真面目に地を這えよ!」
って言ってるような、
そんな場面は多い。

その逆もあって、
鳩が蛇にむかって
「地味だなぁ!なんで自由に飛ばないの?」
って言い放ってるケースもある。

ただね。
鳩が蛇の巣に落っこちていたり、
蛇が鳩の群れの中に紛れ込んでたり、
そうゆう巡り合わせも、
引きで見ると意味があったりする。

私たちは蛇にも鳩にもなり得るが、
本質はどちらでも無い。

いまの状況や立場が向いてるか向いてないかは様々だけど、
その奥にどちらでも無い「私」を見出してると、
傲慢で無神経にもならず、
落胆して無価値感に陥ったりもしなくて済む。

そしてどちらを演じても、
無闇に人を傷つけることなく自分を楽しめるようになってくる。

蛇のジェラシーも鳩のイライラも随分味わってきたけど。
あいつは間違ってるとか邪魔っけだとか、
自分が劣ってるとか怖いとか、
そうゆうのの奥の仕組みが少しづづみえてきて、

みえてきたからには素晴らしい何かを生み出していけそうな
今はそんな感じ。

補足:
聖書のなかに「蛇のように賢く鳩のように素直であれ」のくだりがありますが、ここでは聖書の解釈とは別の文脈で「蛇と鳩」の象徴性をあつかってみました。蛇が悪で鳩が善であるといった二元論の配置でもありません。「私は神の子には相応しく無い?〜あなたは神の子には相応しく無い!」といった罪悪感の相互投影、怖れや被害者意識からの攻撃性、そして無価値観。そういった無意識のトラップから、少しでも目醒た「私」でいたくて、自分なりの限界性のなかで表現してみました。

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