10年

東日本大震災から10年が経ちます。被災地の出身なこともあり、何かを書きたいと思います。書くに当たって、当時のブログや日記を振り返って読んでみたところ、とんでもない精神状態で毎日を過ごしていたようでした。驚いたことは、毎日泣いて泣いて、眩暈に襲われて、胸がつぶれそうな気持ちで過ごしていたあの頃の記憶が薄れていることです。今でももちろん思い出すと涙が出てくるけど、この10年で時間が悲しみを少しずつ忘れさせてくれていることに気がつきました。

家族も家も無事だったのに、どうしてそんなに辛い気持ちを味わっていたのかというと、故郷の壊滅的な被害を目の当たりにしたからという理由もありますが。震災の3ヶ月前に突然父を亡くした影響が大きいです。突然家族を亡くす途方もない悲しみを痛感していたので、そんな気持ちの人がたくさんいることを想像し、自分と重ねてしまい、苦しい思いをしてしまいました。

1週間後に被災地となった故郷に戻りました。瓦礫だらけでめちゃくちゃでした。座布団、着物、計算ドリル、(ぺちゃんこになった)車、など、ごちゃまぜになった泥まみれの生活が、草原のように広がっていました。何日か経つと道が復活しました。道には石灰が巻かれて、皆が家を洗っていました。村中の建物に赤いスプレーで「OK」と書かれていました。もうここには人がいないという意味だそうです。「解体OK」というのは点検が済んで解体してもいい建物という意味だそうです。

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ご家族が亡くなった方は別ですが、その他の村の人は思いがけず明るい印象もありました。家を流された方でさえも。耳を疑うようなブラックジョークを飛ばし、笑っていました。「全部流されて見晴らしがいいから、次に津波が来てもすぐに分かるね。」「そうだ、まっ平だから逃げやすい。」マジかよ。私は笑えませんでしたけど(汗)。その頃はテレビで悲しい報道しかしていませんでしたが、つつましく笑顔もあったのです。笑顔の下にはその何倍もの涙を隠しているのですが。

瓦礫撤去と炊き出しのボランティアに行きました。行く先々で「テレビ出る子か、頑張れよ」と逆に励まされました。頑張らなくちゃと思いましたが、結局、体調を崩して頑張ることはできませんでした。最初は気を張っていたから大丈夫だったけど、時間が経ってから自分も多大なダメージをくらっていたことに気がつきました。周りにも、後から心身の不調を訴える人が多かったです。お笑いの活動を再開し、宮城のある小学校でネタをやらせてもらう機会がありました。楽屋が教室だったのですが、学級通信に積極的にカウンセリングを受けるよう促す記事がありました。子ども達の心のダメージを思うと胸が痛みました。

震災から、色々なことを学びました。有事の際はきれいごとじゃいられないこと、声をあげなければ気づいてもらえないこと、被災者の気持ちは被災者にしか分からないこと、でも気持ちを想像することはできること、現場に足を運ぶ大切さ、ささいな日常生活がありがたいこと、優しい人がいること、などなど。悪気なく心無いことを言う人もいて、嫌な思いもしました。岩手と東京の狭間で悩みもありました。「募金したよ」「野田村の商品を買ったよ」って、連絡をくれた友達や知り合いがいて救われることもありました。

本当は有名になって、野田村のことを宣伝して、たくさんの人に遊びに来てもらって、自然の豊かさと、海の幸と山の幸を味わってもらいたい! という夢も捨てていませんが、今はちょっとできることが少ないので。せめてもと野田村の観光物産館のオンラインショップで買い物をしてみました。ちなみに今回購入したのは、のだ塩らーめん、のだ塩炊き込みご飯の素(塩味)、南部男の無口なじゃぁじゃぁ麺、のだ塩アイス、のだ塩煎餅アイス、山ぶどうシャーベット、どんぐりアイス、です。全て私が野田村に帰った時によく買う、大好物です。ご興味ある方いらっしゃいましたらのぞいてみてくださいね^^

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(のだ塩ラーメンは、あれこれ具をのせずにネギとワカメぐらいでいただくのがおすすめです。じゃぁじゃぁ麺は、パックじゃじゃ麺の中では類をみないコスパです。のだ塩炊き込みご飯は、冷めても美味しいからお握りにも向いています。のだ塩アイスは、美味しいです。のだ塩煎餅アイスは、煎餅の部分が最中の役割を果たしていてそれがアイスとマッチします。山ぶどうは、普通のぶどうの7倍の栄養価でポリフェノールも鉄分も豊富です。シャーベットか山ぶどうジュースでかなり迷いました。どんぐりアイスはかなり貴重です、野田村ではどんぐりを食べるのです。昔ながらの製法でどんぐり餡を抽出しているので、かなり濃いです。他にも泉田さんのお茶碗とかミネラルたっぷりの野田塩とか、オススメ商品たくさんあります! )

なぜか最後は、野田村の物産店の宣伝になってしまいました…。とにかく、私はいつまでも忘れないってことを伝えたかったのです。全然伝わってないような気がしますが。。そして全国の皆様、その節はたくさんのお心遣いをありがとうございました。あと10年経ったら、もっともっと悲しみが薄れて明るい未来を創造していることでしょう。今日からまた有り難い1日を積み重ねていきます。

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