雨、あめ
「あめのひにしかきこえないおとがあんねん」
これはある雨の日の夜、帰宅した夫が今日は雨だったけど大丈夫だった?と
娘に声をかけた時の返事。
雨の日にしか、聞こえない音がある のだそうだ。
*
「今夜はこの雨の音でよく眠れそう」
約1ヶ月ほどフィリピンのセブ島に滞在していた時に英語を教えてくれていた地元育ちのレジーンはそう言った。心が落ち着いて静かになるから好きなの。と。
それから私も雨が降る夜は雨音に耳を傾けて落ち着いていくようになった。いつからか鬱陶しいとさえ思っていた雨の音。
明日は晴れますようにと雨の勢いを気にしながらベッドに入っていた頃が確かにあったのに。
*
娘が通う森のようちえんでは、登園リュックの中に常に雨ガッパを入れていて、雨が降ってきたらそれを着る。身体が雨に濡れて冷えてしまっては死活問題だからだ。自分の身は自分で守る。変化させるのは我々の装備の方だ。
その日も朝から雨で、カッパを着て登園する。
「今日は雨降り散歩があるかな?」などと話しながら。
雨の日は散歩をするらしい。
雨粒がカッパに当たるポツポツという音が
頭の上やフードの端っこや、肩や胸に響く。
その音と自分との距離がとても近くて、だんだん溶け合い、やがて自分の音と雨だけの世界になる。
*
ああ、私はいつから雨が鬱陶しいものだと感じるようになったのだろうか。
いや、鬱陶しいと感じている自分さえももはや幻想なのかもしれない。
何かの拍子に、誰かが言ったひとことや表情を見聞きして、いつの間にか同調していたのか。
確かに雨は嫌かもしれない、と、まばたき1回分だけ過ぎったその証拠で、それ以降の自分の選択を決定付けたのだろうか。
家の中で本を読むことで雨を味わっていた自分から、
雨だとしても暮らしていく過程で躊躇わない自分へ。目の前に、雨の日にしか聞こえない音を味わっている人がいる。
私はどうか。
抗えない大いなるものに条件反射のように抵抗し過ぎていないだろうか。
身につけているものは、抗う装備なのか、委ねる装備なのか?
自己対話は続く。