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自分史|中学時代のいじめの経験から思うこと

さて、前回の記事で自分の小学時代頃の話をしたので、今回は中学時代の振り返りをしてみる。

ただただ楽しかった思い出しかない中学時代

1990年代を過ごした中学時代。
週刊少年ジャンプでは黄金期と言われていた時。
ドラゴンボールZ、幽遊白書、ろくでなしBLUES、スラムダンク。
毎週月曜日は楽しみでしかなかった。
(場所によっては早売りしている所があったんだよね。)

部活動もサッカーに明け暮れ、毎日朝練、夜は暗くなるまで打ち込んでいた。
サッカーが楽しくて楽しくて、サッカーできないテスト期間中がもどかしかった。
テスト期間が明けたある日、ボールが蹴りたくてウズウズしていた自分は、準備運動もろくにせず、いきなり全力でボールを蹴った瞬間、股関節に激痛が走り歩けなくなる。
そのまま病院に連れて行かれて「股関節の剥離骨折」と診断を受け、そこから数週間サッカーができなくなるというアホな失態をおかしたのを覚えている。
おまけに仲が良かった同性の友人に学校から家までおぶって運んでもらったので、変な噂まで流されていた。笑
とにかく、中学時代の自分は運動が大好きで平日は朝夕サッカー、休日はスラムダンクや当時流行っていたNBAに影響を受けてストリートバスケを早朝にやっていたほど。
そのうち仲間内だけじゃ満足できず、部活動が始まる前に女子バスケ部に勝負を挑んでいたっけ。
楽しかったなぁ〜中学時代。

当時の中学校にもこんな感じのバスケットコートが外にあった

無意識にいじめに加担してしまっていた

同じクラスになった同級生も皆めちゃくちゃ仲がよく、
休み時間の度に廊下で相撲を取ったり、いろんな遊びをしていた。
(当時は貴乃花や若乃花の全盛期、私は舞の海のファンだった)
とにかく一日中ハイテンションだった。

ある時、紙を筒状にした紙製の吹き矢遊びが流行り出した。
その遊びは徐々にエスカレートしていき、矢の先に画鋲をつけて飛ばしたり、授業中に先生の目を盗んで吹き矢を飛ばしたりするようになっていった。

そして、吹き矢が大人しい男子生徒の背中に命中。

その次の日からその同級生は学校に来なくなった。

そこで僕たちは遊びが行き過ぎていたことに気がつき、その同級生の自宅に行き、同級生に謝り明日から学校に来てほしいと誘った。
その日以来、吹き矢遊びもしなくなった。
同級生も学校に来ることができた。

いじめをしている側は無自覚な場合がある。
単なるおふざけだと思っている場合がある。
けど、どんな理由があるにしても相手がいじめられたと思った時点でそれはいじめなんだと思う。
よく「いじめられる側にも問題がある」という事をいう人がいる。
いじめている側の都合の良い解釈を正当化してはいけないと常々思う。

いじめと嫌がらせに違いはあるのか

よく考えることがある。いじめと嫌がらせに違いはあるのか?
「いじめを受けた経験がありますか?」と聞いたら小数かもしれないが、
「嫌がらせを受けた経験がありますか?」と聞いたら大多数になるんじゃないか?と思う。
嫌という気持ちは一緒なのに。
痛みは想像できるはずなのに。
いじめに回数は関係ない。たった一回の出来事で不登校になる人だっている。
嫌がらせといじめの境目なんてないと思っていて
自分自身の物差しだけで物事を判断してはいけないんだと常々思っている。

ミステリという勿れ。整くんの名言。

そういえば最近ハマっている漫画。(ドラマでもやりましたね)
ミステリという勿れ。
このシーン好き。とにかく整くんの名言が刺さる。

ミステリという勿れより

淡路:あの頃は今みたいに逃げていいよって誰も言ってくれなかった。逃げちゃいけなかった。学校も休めなかった。逃げたかった。

整:どうしていじめられている方が逃げなきゃならないんでしょう。欧米の一部では、いじめられている方を病んでいると判断するそうです。
いじめなきゃいられないほど病んでいる。だから隔離してカウンセリングを受けさせ癒すべきと考える。
日本は逆です。いじめられている子をなんとかケアしよう、カウンセリングを受けさせよう、逃げ場を与えよう。
整:DVもそうだけど、どうしてなんだろう、どうして被害者側に逃げさせるんだろう。
病んでたり迷惑だったり恥ずかしくて問題があるのは、いじめている方なのに。


今回の記事を書くときに題を「自分史|丸刈り校則に疑問を抱いた中学時代」にしていたんだけど、そこの話までいかなかったので、変更しました。次回高校時代を振り返るときに丸刈り校則について書きます。


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