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自分史|生まれて最初に脳に刻んだ記憶

3日連続の投稿になります。
これはいつまで続くのか。。
さて、私の仕事は障がいなどによる生きづらさを抱えている方の就労と自立の支援を行う法人で今は理事をしています。
関わってきた人はメンタル疾患を抱えている方たちが多いです。
色々と生い立ちなどの話を聞いていくと、家族の問題や幼少期にいじめなどにより居場所を無くしていた経験がある人が多く存在しています。

自分の一番古い記憶を辿る作業

幼少期の親からの愛情ってほんと大事だと思っています。
前の記事にも書いたけど、ある程度幸福感を感じられている私はきっと親からの愛情をたっぷりと受けて育ったんだと思います。

むかーしの記憶を辿っていこうとする作業で、一番古い記憶を脳の中からチョイスをしようとする時、必ずある風景が思い出される。

当時住んでいた自宅近くの公園で母親と楽しく遊ぶ風景

確かバネが付いている丸い台の上を飛び乗っていく遊具で母親に手で支えられている。
その時の記憶は会話も音もなくサイレントな記憶なので、言葉が理解できない、話せない2歳くらいの記憶なのかもしれない。
ただただ、母親と楽しそうにしている記憶だけが鮮明に脳に焼き付いている。
なんか、親との関係ではこの記憶がベースになっている気がしてならない。
きっと嫌だった記憶もたくさんあって上書きされてもおかしくないんだけど、残り続けているという事は母親との愛着が確固たるものだったのではないだろうか?と思ったりしている。(誰か研究とかしていないのかな)

ちなみに余談だけど、その次に古い記憶を思い出すと、少し時が経った幼稚園時代。

  • 給食で自分だけ牛乳が配られなくて、先生が「牛乳もらっていない人?」と皆んなの前で聞かれて、名乗り出ることができず悲しかった記憶。

  • 幼稚園の何かの発表会で「将来の夢」を発表する時にど緊張していて、ありきたりな「警察官になりたい」とその場を凌いだ記憶。

これのどちらかが古いと思う。
しかし、世の中の事を全く知らない4,5歳の幼稚園児に将来を考えさせるなんて酷だなぁ〜。笑
警察官になりたいとは言ったものの、本当に警察官になりたいと思ったことは1ミリもなかったです。

一番最初の自己決定、サッカーとの出会い

もう一つ、自分自身で決めた大きな自己決定で一番古い記憶を辿ると自分の意思で「サッカーをやりたい」と親に言った事じゃないだろうか。
小学校2年生のとき。
隣に住んでいた一個下の幼馴染と一緒にサッカーと野球のチームの練習を観に行った時の話。
両親のスポーツ歴は母親がバレー、父親が卓球経験者だったようです。サッカーや野球とは無縁? いや、父親は社会人野球をやっていた記憶がある。
親の希望としては、野球だったんじゃないかと思う。
結果、幼馴染は野球をやることに。
私はサッカーをやりたいと自分の意思を通したようです。
あの時、親は何で「〇〇くんと同じ野球がいいんじゃない?」と言わなかったんだろうか?野球を無理やりやらせなかったのだろうか?
今思うと、自分で決めたという経験をさせてくれた事と、両親が子どものやりたいようにやらせてくれた事に心から感謝をしている。

この時に将来の夢は?と聞かれたら間違いなく「サッカー選手」と答えていただろう。(高校くらいまでは本気で思っていた)
そんなサッカーは今でもやり続けています。たまに。。

人生を振り返ると自分で決めてやり始めた経験が多い気がします。
うまくいくケースやいかなかったケースもたくさんあったけど、自分で決めた事なので満足度も高く、幸福を感じられていたんじゃないかなと思います。
そんな幸せな記憶がベースがあったから様々な困難を乗り越えられたのかもしれないなぁ。

お腹に竹が刺さる事故

私の幼少期。大体35〜37年くらい前の話。
今の子どもたちとは全く違う遊びがそこにはあった。
しょっちゅう公園で友達とスポーツをやったり、山に入って秘密基地を作っては誰かに見つかって壊されたりという事をしていました。
行ったことがない場所はドキドキとワクワクが入り混じる感覚。
親の立場になった今だったら怖くて子どもだけで行かせられないよなぁ。。
当時から怪我だって絶えなかったし。。蜂に刺されたり、犬に噛まれたり。
学校でも休み時間に勢いよくグランドに飛び出し、朝礼台(今の学校にあるのかな?)に頭を思いっきりぶつけて流血。そのまま病院に運ばれて頭を縫う怪我をしたことも。
とにかく外で遊ぶのが大好きでヤンチャだったんだと思う。

そんなある時、崖から足を滑らせて数メートル下に落ちたことがありました。木や枝に絡まって止まった感じ。
お腹を怪我して自宅に帰り、その日からガーゼを貼って消毒する毎日。
なんか腫れがひかないなぁと思っていたら、数日後に竹の破片が出てきてびっくりしたのを覚えている 笑(今でもうっすら傷が残っている)
きっと幼少期にそんな危険な遊びも、新たな場所や遊びのチャレンジができたのもいつでも帰れる安心した家族という場所があったからだろうと今は思えます。

自分自身の原点は家族なんだなと改めて思いました。


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