鶴ニ乗リテ樗堂一茶両吟/初雪やの巻
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やたらに火焚夜の罔両
虎吼る古き霊屋の秋の月 樗堂
初ウ九句、豫洲二畳庵樗堂こと廉屋専助が実感の絶句。
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虎吼る とら・ほゆ・る。歌仙という文藝、その幻術が一座する者たちに「虎」を見せ「吼る」声を聴かせていたのです。
古き ふるき。の古きは、新古の古ではなく、愛おしく懐かしい心持を表す。
霊屋の たまや。みたまや、おたまや、霊廟など。人々の暮らしの感覚からすれば、仏壇あるいは墓地もその範疇に。
秋の月 あきのつき。月は月でも「秋の月」はまん丸だったのです。
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やたらにひたく よるのかげぼう
とらほゆる/
ふるき たまやの あきのつき
前句「火焚」に、「霊屋」をつけ「秋の月」を詠みこんだ樗堂の月の座の句でした。一茶がお膳立てして、月の座を樗堂に譲っていたのですね。
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さて、「虎吼る」に少しばかり立ち入って見て参りましょう。
「虎嘯風生」などと云った遠いものではなく、樗堂にとってごく身近な存在、それは<亡妻>とら女の幻影だったのです。
とら女は、三津の松田家の女、廉屋に嫁ぎ一子を得るも、夫早逝。一子幼年にして、廉屋の隣りから入り婿が迎えられ、とら女と夫婦になったのがここに云う樗堂こと専助、明和二年(1765)のことでした。ややあって、寛政元年(1789)三月、とら女は享年四十四歳で病死してしまっていたのです。
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妻亡き寛政元年から、この句、寛政八年まで、ときに一茶などが揶揄ったりしたとしても、樗堂こと専助さん、そりゃあ<固いもの>だったのですから。
とら女は羅蝶と号して句を嗜んでいました。
十三回忌追悼句集の序に
いかにも浮世の塵をさへいとふばかりに見へ侍りしが 去りし己酉の年 春を惜しむ月の初つかた 我を残して終に花台の往生ぞなし侍る
扨しも鳥の袋ひやゝかに 枕の塵つもる思ひなむ止時なく侍りけれど、たまたま涙のいとまありてしづかにかうがへわたれば 是只に不信の我を驚かして かりに無明の眠りをやさましと かつはよろこび かつはかなしくもあり侍りけるか
樗堂「夢のはしら序」抄 享和三年(1803)
と。
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テキストにすれば、「不信の我を 驚かして かりに無明の眠りをや さましと」 (夢のはしら序)
歌仙という文藝で句にすれば、「虎吼る古き霊屋の秋の月」 (「初雪や」の歌仙、初ウ九句)
と。
読み筋からすれば、こんなところだったのではないかと思っているのです。
23.10.2023.Masafumi.
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