風早ハ兎文一茶両吟/門前やの巻
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厂かねに哀なる事思出し
筑紫左遷の舷の露 一茶
名オ十句、瀬戸ゆく舟の嶋陰に、道真公の物語が遺されていたのです。
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筑紫左遷の 昌泰四年(901)一月二十五日、右大臣菅原道真は、醍醐天皇の詔勅により太宰府への赴任を命じられました。
舷の露 舷はふなべり。その船旅や、さぞお辛かったことでしょう。舩の露は涙に、季は秋でした。
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かりがねに あはれなることおもひだし
ちくしさせんの ふなべりのつゆ
「哀なる事」に誘い出され、道真公の筑紫左遷のことを詠み、「舷の露」と付けていました。寛政年中、一茶の四国での拠点は讃岐の専念寺(観音寺市)でした。そのすぐ近くに、国府があり、若き日の道真の赴任地だったのです。しかも、西国紀行(寛政七年紀行)の記録された瀬戸内沿岸には、道真公に関わる伝承が数多く残されていたのです。
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俳諧の連句に
其一
此梅に牛も初音と啼つべし 桃青
ましてや蛙人間の作 信章
はる雨のかるうしやれたる世の中に ヽ
其二
梅の風俳諧諸国にさかむなり 信章
こちとうづれも此時の春 桃青
さやりんす霞のきぬの袖はえて ヽ
延宝四年丙辰「江戸両吟」桃青は芭蕉、信章は素堂。
(菅神奉納の二百韵のうち、それぞれ三句を抄出)
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梅は飛び桜は枯るゝ世の中に何とて松のつれなかるらん
文楽「菅原伝授手習鑑」
16.10.2023.Masafumi.