風早ハ兎文一茶両吟/門前やの巻
07
熱目の遅き柿の配分
節句とて弟の五郎もむつましく 一茶
初ウ一句、折り立の句は曽我物語でした。
〇
節句とて 節句は季節の節目。五節句のうち、ここでは重陽の節句に。
弟の おとうと。
五郎も 五郎すなわち弟の曽我五郎時政、兄は曽我十郎祐成、世にも名高き「曽我兄弟」のこと。
むつましく 仲睦ましく。
〇
あつめの
おそき
かきの
はいぶん
せっくとて おとのごろうも むつましく
前句<目が空く>の民俗に、みごと本懐を遂げた<曽我兄弟>の物語を付け、初裏入りの一句としたのです。
〇
縁は、謡曲「小袖曽我」あたりに、
兄弟目をひき。これやかぎりの親子の契と思へば涙も尽きせぬ名残。
牡鹿の狩場に遅参やあらんと。暇申して。帰る山の。富士野の御狩の。折をえて。年来の敵。本望を遂げんと。互に思ふ瞋恚の焔。
胸の煙を富士おろしに。晴らして月を清見が関に。終にはその名を留めなば兄弟親孝行の。例にならん。嬉しさよ。
と。
〇
御狩場の仇討ちにより本懐を遂げた後、兄は仁田四郎忠常に討たれ、弟は臬首されました。頼朝の命により、亡骸はそれぞれ葬送供養が行われたと「曽我物語」には書かれていたのですが、幾星霜を経た後の世まで「十郎五郎の墓」だと伝える場所が数多く残されていたのです。
伊予大洲藩領にも曽我兄弟の首塚がありました。愛媛県喜多郡内子町大瀬乙成(大江健三郎さんの生家のすぐ近くです)
俳諧に
年ふれば虎もなみだや忘れ草 鬼貫
傘焼し其日も来けり乕が雨 太祇
句に
傘焼きて曽我兄弟の墓よごす 千架子
傘焼くや夕闇に浮く桜島 蕪春
30.9.2023.Masafumi.
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