仕切り直し樗堂一茶両吟/藪越やの巻
廿七
気違ひ立てけらけらと云ふ 樗堂
有明の猿に木槿を礫つゝ 一茶
名オ九句、ここで月。青いひかりに照らされた戯画の幻影。
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有明の まだ空に月が殘る薄明かりのころ。
猿に 猿。(過ぎ去っていくものに)
木槿を むくげ、はちす、アオイ科フヨウ属の落葉樹。
礫つゝ 小石のようなものを投げるのが本来の義。「つゝ」とあるから何度も投げたのですね。
〇
きちがひたちて
けらけらと
いふ
ありあけの さるにむくげをつぶてつゝ
狂気の句には、<薄明の>とりわけ<青いひかり>がよく響く、そう見立てた一茶は、月の座をひきあげここで「有明の」句を詠んだのです。
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そこで、秀歌秀句の力を借りながら、読み手には、もしかしたら<あるかもね>といった世界を描いてみせたのです。
小倉百人一首には有明の歌が四首、
いま来むと言ひしばかりに長月の有明の月を待ちいでつるかな 素性法師
有明のつれなく見えし別れより暁ばかりうきものはなし 忠岑
朝ぼらけ有明の月とみるまでに吉野の里にふれる白雪 是則
ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる 後徳大寺左大臣
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さて、次に文台の上で見せたのが滑稽戯画の幻だったのです。
この句の絵解きをしてみましょう。
青いひかりに照らされて遠くに猿が二、三頭。
なかの一頭の大写し、、、、
追い払いたいのなら石の礫を打つ場面。
しかし、、、、、、
そこにあった木槿の花を投げつける、二つ三つ、三つ四つと、花の礫を。
生け花では、木槿は禁花でしたが、猿に礫とはいかにも滑稽。なんだか戯画でも見ているようだよと、笑を誘っていたのです。
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道のべの木槿は馬にくはれけり 芭蕉
それがしも其の日暮らしぞ花木槿 一茶
13.9.2023.Masafumi.