仕切り直し樗堂一茶両吟/藪越やの巻
廿六
野送りの跡を清むる鈴の声 一茶
気違ひ立てけらけらと云ふ 樗堂
名オ八句、気がふれたのだ。ことばがはっきりしない。
〇
気違ひ 著しく常軌を逸した状態。たぶれ、ものぐるい、日葡辞書にはQichigai<自分の気がほかの気と入れかわること>と。
立て <きちがひたち>平常から異常に変化する病態
けらけら 通常であれば<笑い>を表すオノマトペなのだが、、、、
云ふ ことばになっておらず理解し難い。
〇
のおくりのあとを きよむるすずのこえ
きちがひたちて
けらけらと
いふ
葬儀のあとのものぐるい。何やら不気味な人事句ですが、樗堂一茶両吟ではめずらしいことではなかったのです。
〇
寛政七年の両吟では
水流れの巻 犬神人ひとりいつちかへるか (初ウ二句)
鴬のの巻 狐ハ避りて小半日寐る (名オ八句)
蓬生の巻 けろけろと昨日を忘ワらは病 (名ウ一句)
など。
また、寛政八年大阪の俳人と巻いた歌仙では
三月やの巻 一念の鬼に成てハ女ても (名オ五句)
ゑにしあれやの巻 心に鬼の関をはまるゝ (名オ四句)
など。
これら、歌仙という文藝にあらわれた<狂気の句>をどのように読み取ればいいのでしょうか。
〇
以下、引用です。
ふと根香山(八十二番青峰山根香寺)というお寺の近所の一軒家に泊った時の事を思い出した。同宿人が五、六人もあったろう。中に夫婦連れの一行があったがお内儀さんは四十一、二で気が触ているという。ちょって見ては別に異常もないが断えずまに何か話し続けている。
「皆さん。お気の毒だが朝方少し変になるかも知れませんから」
と夜寝む時夫の人がそう断られた。果して午前一、に時頃 —― その頃も月明であった。 —― になると突然起き上って戸外に飛び出す。外の人々はぐっすり寝込んで知らないらしいが、私はちょうど目覚めていたのでどうなるだろうとハラハラしていた。
気になるのでソッと戸を開けてみると、一心に合掌しえ何かを拝んでいる。それが済むと幽霊のような青い顔をして月光の木立の中をあちらこちらと逍遥している。その姿がいつまで立っても私の胸を去らない。こうして月明の中を歩き廻るとどうも自分がその女になってしまったような気持さえする。
高群逸枝「93 狂女の姿」『娘順礼記』(1918)
老人と少女の旅の冒険を記録した高群逸枝の「狂女の姿」、その最後の言葉「どうも自分がその女になってしまったような気持さえする」という自覚が、異常に立ち向かう近代女性の<知の煌めき>であったと確信するのです。
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これと同じように、樗堂一茶両吟でも暮らしに潜む狂気を決して排除していません。それらを<ありうるもの>として受け入れ、共に回復を願う句がたくさん残されていたのです。こうしたことが事案解決のための<一縷の望み>になっていたのではないかと思うのです。
痩せ蛙負けるな一茶ここにあり
とね、、、、、。
余外ながら、松山の俳優井上正夫主演「狂った一頁」(衣笠貞之助監督・川端康成シナリオ)がありました。
12.9.2023.Masafumi.