歌ヲ聞キ乍樗堂一茶両吟/降雪にの巻
En écoutant la chanson......
08
詩の友と馬並べ行朝あらし
斧の聞ゆる山の名を問ふ 一茶
初ウ二句、深山に入る、その山を「わがたましいの」と、問うてみる。
〇
斧の おの・の、石斧もあれば、鉄斧もある。今は、もっぱらチェーンソー。
聞ゆる きこ・ゆる、語幹「きこ」=聞こえるに、上代の助動詞「ゆ」の付いた「きかゆ」の変化した語。一茶が編み出した万葉調の文体のひとつ。
山の やま・の、深山の、この山を<どう読むか>は、人それぞれ。千に萬とあってそれも又よし、と。
名を な・を。
問ふ とふ。名を問いかけるは乞いの始まりとも。奥は深くて暗いのです、そこを進んでゆくのです、と。
〇
し の とも と/ むまならべゆくあさあらし
おののきこゆる やまなのなをとふ
詩を語る人々が山に入る、読み手もそれなりの覚悟がいる。この山、尋常の山ではありませんぞ、と。寛政の俳諧師たちがニヤリと凄みをきかせていたのです。なに、恐れることはありません。きっかけを求め、まず問うことから始めてみましょうか。
〇
中つ世の隠遁者ならずとも
斧入れて香におどろくや冬木立 蕪村
また
深山木や斧にうるおふ秋のくも 紅葉
初山や高く居て樵る雲どころ 蛇笏
切株があり愚直の斧があり 鬼房
冬眠の森に乾きし斧の音 喜秋
馬の眉間の白ひとすぢや山始 實
など。
28.10.2023.Maafumi.
余外ながら、遊学中に坪井洋文に民俗学を教わったので、若いころはあちこちの山を訪ねていました。
ややあって、定年退職を迎えたころ、旧友の森賀盾雄さんからお誘いがあり、少しばかりお話ししたことがありました。
噺が、宮本常一『忘れられた日本人』の「土佐寺川夜話」に及び、ちょうど英訳本が出て間もないころでしたので、原書にある「寺川への本道」の写真が、英訳本は別の写真になっているとお示ししたことがありました。
宮本常一さんは旅された方でした。人の通らぬ道、そんな<かそかな><いきものの道>を、細かく観察され、私どもが気がつかないでいた大切な民間伝承を、次々に明らかにされていたのです。「寺川への本道」は、伊予の山で働く人々が維持していた「桟」でした。伊予の人々は、この桟作りの腕利きが多く、乞われて紀州あたりにまで出稼ぎに行っていたことがあるのだそうです。
お聞きすれば「土佐寺川夜話」の寺川も、今や、住家はあっても人のいない集落になろうとしているとのことでした。
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