鶴ニ乗リテ樗堂一茶両吟/初雪やの巻
03
堀を真向に寒き茶烟
草の中元結干ス杭打ぬらむ 樗堂
三句、堀の水を抜き、汚れを除くために泥土を干してます。
〇
草の中 くさのなか。泥とも水とも、ともどもに。
元結 もとひ。ここでは本樋、あるいは底樋・泥樋などとよばれた栓(杭)のこと。
干す ほす。溜池、大井手、堀などで水を抜いて干すこと。池干し、井手・堀浚えなど。
杭打ぬらむ 水が抜けないように杭はきっちり閉められていましたので、大きな木槌などで叩いて、隙間を作り加勢を得てその杭を引き抜いていたのです。
〇
ほりを まむきに
さむき ちやけぶり
くさのなか もとひほすくひうちぬらむ
堀の前句に「元結干す杭」と付けて、転調・変化を見せた樗堂の三句でした。満面の水を湛えた堀端の景観が一転して堀浚えの場に変わっていたのです。
〇
場面が変わったというに留まらず、実は、歌仙という文藝に遊ぶ主体の<変化>にも言及していたのです。それは、「草のなか」の措辞に示され、泥とも水とも、ともどもに、ある種、強烈な体験を呼び起こさせるきっかけになっていたのです。
例えば、あなたは泥んこ遊びをして叱られたことはありませんか ?
あるいは、あなたはオイタをしたと叱られたことはありませんか ?
〇
こんなことが
池の中ではタルヌリになるといいいます。ドロドロのなかを這うように獲物を追いかけます。腰が痛いのもかえりみず疲れを忘れて、泥塗りになりながら一種の陶酔状態に入るところは、太平洋沿岸から西南日本の一部に分布する若者達による泥祭りの芸能に似通った現象がみられます。
河野正文「宮脇通信 空間のフォークロア」芸能山城組『季刊地球』31(1983)
また
泥と粘土を全身に塗りたくって、野蛮人になった気分でワッと叫びながら追いかけっこをする。そのまま水に飛びこむと泥はあっという間に洗われてもとの顔がうかび出るおかしさ。あのねっとりと皮膚にまといつく粘土と泥をいじくった感触はいつまでも残った。それは気味がわるいと同時に、なんとも懐かしく親しい、忘れがたい感覚であり、土と皮膚とが一体になる奇妙な生々しい感覚である。
飯田善国「水にひかれる子供としての私 その一」『妖精の距離 カントリー・ボーイ年代記』(1997)
〇
俳諧師たちは、文台の上に幻影を描いて見せながら、ときに眼前の風景を変え、変身のきっかけを与えていたのです。飯田善国さん曰く「野蛮人になった気分でワッと」ね。それは、もしかしたら、あなた自身だったのかも知れないのですから。
21.10.2023.Masafumi.