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女は損だという思い込みが誕生した時の話

確か小学校5年生くらいの時だったと思う。
叔父が近所に家を建てた。

叔父は父の2番目の兄で(父は7人兄弟の6番目だった)叔父の家には時々遊びに行っていた。他の叔父叔母の家よりよく遊びに行ってた。
今思うと叔父は父のことをかわいがってくれていたんだなぁと思う。
シュッとしてて子どもながらにカッコいい叔父さんだと思っていた。

今もやってるかどうかわからないけれど当時は
家を建てる時、骨組み(?)が出来上がると、屋根の上から紅白の餅を投げるという風習があった。
近所の老若男女が集まってそれを拾うのだ。
2階から投げるから当たるとまあまあ痛かったりもするんだけど、紅白餅自体は柔らかくて美味しかった。

因みに餅投げで拾った餅は焼いてはいけなかった。その家が火事になるからダメってことで。
でもそのまま食べても美味しかったなぁ。

「餅を投げたい」
叔父が家を立てると聞いた時、私はそう思った。いつもは拾う役ばかりだったけれど、今回ばかりは投げることができるんじゃないかと。
叔父に頼めば叶うんじゃないかと。

父に頼んでみたところ、早々に叔父に頼んでくれ、OKが出た。
やったことないことだし、なかなか経験できることじゃないから、すごく楽しみだった。

ところが、当日になってNGが出た。
「やっぱりダメ」と言われた。
納得がいかなかった私は父や母に理由を問い詰めた。
なかなか教えてくれなくて、でもあきらめずに問い詰め続けたところ、とても言いづらそうに教えてくれた理由は衝撃的だった。

「女の人は上れないんだって」

え?
納得いかなすぎる。
詳しく聞くと、女性は生理とかあるからダメなんだと、それもまた言いづらそうに母が教えてくれた。

私は初潮が早くて4年生くらいだったから、生理というものがどういうモノか身をもって知っていた。(性教育の授業がいつあったかはあんまり覚えてないんだけど)

知ってたけど、それが理由でできないことがあるなんて。
全く納得できなかった。
納得できないまま餅は投げられ、結局拾う側で参加した。


「女だからダメ」
怒りのような悲しみのような、そんな気持ちが湧いた。
性別でできることが決められてしまうなんてあり得なかったし、許せなかった。
理不尽だと思った。

「女は損だ」
とまで明確ではなかったけれど、女性である自分が嫌になるような出来事だった。

まぁそのことだけが原因ではないけれど、このくらいの時期から、「女は損」「世の中は男女不平等」「男に負けるな」みたいな思い込みが出来上がった。

小学校5、6年生って、親の社会性のコピー期と言われている。
今思うと両親の中にも(特に母かなぁ)そう言う偏りがあったと思う。
この頃にできた思い込みってまぁまぁ引きずっていて、結婚、出産しても暫くは「男に負けるな」みたいな感覚ってあった。

そこが解けたのってやっぱり本来の自分の視点を取り戻せたからだと思う。
小学校3、4年生の頃の自分の視点を。


あり方スクールでは
小学校3、4年生の一番自分らしかった時期を思い出すだけじゃなくて
こんな5、6年生の思い込みに気付くこともできる。

毎週火曜日に無料体験やってるので

是非ぜひ話聞きにきてください。
ワークの体験もできるよ。


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