身の回りに潜む恐怖とコロナ禍の行き場のないモヤモヤについて

長引くコロナの影響で、思い切って外出することも、友達を誘うこともできない。見る景色が何も変わらない。刺激がない。そしてそんな環境で前向きになれない自分に嫌気がさす。

色々な施設がコロナの感染対策をいくらしていても、人はどこかで気が抜けて対策を怠ってふとした瞬間に感染したり、外に出ればコロナ感染のリスクはもちろん上がる。緊急事態宣言に慣れてしまって、多くの人が2020の4月の頃みたいにはステイホームできない。他の人が外出して楽しんでいたり、政府の人が飲み会をしていたり、五輪で海外から人がたくさん移動したりしているのを見ると、外出したい欲を抑えるのは難しい。(もちろんそんな中でステイホームを徹底している人は偉いし、その人たちに私たちの外出について指摘されたら何も反論できない。)

医療関係の仕事をしている友人の声が入ってくると、外出して他の人に迷惑をかけてはいけないなと思う。搬送先が見つからない病人や、怪我人、妊婦のニュースを聞くと心が苦しい。だから今、できるだけ外出しないように出かけたい欲と戦ってモヤモヤしている。最低限の外出が何かって線引きが人によって異なる。自分もずっと家に居た訳ではないし、友人が出かけていることに対して批判する気はない。けど外出には抵抗感がつきまとう。

パラリンピックのテレビ放送を見て、腕や脚などを失ったアスリートが生き生きと活躍している姿を目にして、純粋にすごいと思った。開会式のストーリーも一人の片腕の飛行機が主役で前向きな内容だった。障害を受け入れて生きるのは簡単ではないことだからこそ、前を向いて生きている人はすごい。どの人にも相当の苦しみを乗り越えた過程があるんだなと勝手に考えていた。でも当然だけど、自分が認識していないだけで苦しみから立ち上がれない人もたくさんいるんだろうなと思う。自分も体の機能を失っていたかもしれないと想像すると、乗り越えた人たちのことを本当に尊敬する。ついでに、同タイミングでやっていた24時間テレビは一体何年後まで続くんだろうか。

硫酸をかけられることで、失明や顔や体の変形を起こすアシッドアタックの事件が白金高輪で起きた。いきなり背後から硫酸がかけられるなんて誰が想像できるか。被害者の苦しみを思うとあまりに辛すぎる。もし自分が被害に遭ったら絶対に立ち上がれないと思う。「普通」の生活を送れないようになったら、立ち上がれない人だって絶対いる。誰でもこういう事件の被害者になり得るし、巻き込まれる可能性があると思うと怖い。

「女の人が夜に一人で街を歩いてたら危ない」なんてよく耳にする言葉で、聞くたびに女の自分はうんざりする。女ばっかり我慢しなきゃいけないのは納得がいかない。でも、「いくら悪いのは犯人で、一人で歩いている女性に非がないと大多数の人が分かっていても、殺されたりレイプされたりした後じゃ損をするのは結局女の人だから、身を守るためには女性が自分で対策をすることが必要になる」と言われたら言い返せない。まだ納得いかないけど。

女性が一人で歩くのが危険ならば、男の人と一緒に歩けば問題は解決になるのか? 最近は幸せそうに見えたからという理由で女性が刺されたりする物騒な世の中だから、男女で歩いているだけでも刺される可能性はある。たまだ通り魔とすれ違ったら死ぬかもしれない。男の人だからって被害に遭わないわけではない。男女関係なく誰の身の回りにも危険は潜んでいる。

コロナに感染しても重症化しないようにワクチンを打っているのに、打ったワクチンに異物混入が発覚、それが原因で死に繋がったり、体が炎症を起こすなんて悲しい。異物混入でなくても、ワクチンを打っていても感染して苦しむ人も亡くなる人もいる。新たな新型にかかる可能性もある。

死が隣り合わせにある恐怖がだんだん大きくなって、外出をするのもリスクだらけ。でも家にひたすらこもっているのも息苦しい。業界によってはコロナによって仕事が激務になっているところもあるし、仕事を失っている人もいる。ただただ苦しいこんな状況がいつまで続くんだろう。いろんな人に仕事面、生活面などで精神的、物理的な苦しみがたくさん生じている。

どんな環境下でも、工夫して楽しんでいる人はいる。自らより良い生活をしようと努力することは大切だなって思うけど、それを行動に移すことは決して全ての人にとって簡単なわけではない。SNSで目にする友人の苦しんでいる姿も、楽しそうにしている人の様子も、テレビの悲しいニュースも、音楽フェス開催・演出の賛否両論の意見にも、最近は色々と考えることが多くて疲れた。

このまとまりのない文章を書くことで自分が何を伝えたいのか、今後どうすれば良いのか、他の人に何を求めればいいのか分からない。このnoteは自分がここしばらく考えていたことの単なるメモだけれど、忘れておきたくないので記録します。ここまで読んでくださった方がもしいらっしゃるとすれば、感謝申し上げます。